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744 多田図尋常小学校の人々 「外部の人への見えない柵を外す」


無料喫茶店「タダーズ・コーヒー」の音響の音質改善や、
オンライン・タダーズでもサポートしていただいている
タダーズ最高技術顧問のT.eng氏から以下のようなご意見が
寄せられました。

「無料喫茶店や、オンライン・タダーズ、多田図尋常小学校で、福祉系の方のお話を見聞きするときに思うのですが、どなたも「使命感」が強すぎて、どこか視野狭窄になっているように映ります。そのため、その場が福祉関係者だけの内輪のセミナーや会議のようになっています。ご当人にその気はないのでしょうが、分野外の人まで「調伏」せんばかりの勢いで語っていることさえあります。例外は澤岡詩野さん(ダイヤ高齢社会研究財団主任研究員)
のお話でした。澤岡さんの思考は柔軟で視野狭窄も感じず、専門外の私にとっても良い感じでした福祉専門外の参加者に無意識の「正義の押しつけ」と受け取られないために「多田図尋常小学校」では「福祉の職場的な息苦しさや専門の柵」は外したほうが良いと思うのです」
 
私には知的障害を持つ長男がいるためか、T.eng氏のご指摘は気づいていませんでした。でもこれは大事なことだと感じました。
 
T.eng氏はプロの音響技術者でこれまでタダーズにシンガー、アーティスト、デザイナーなど私にとっての異分野の方々をご紹介いただきましたが、おそらく福祉の外側からの視点を持っておられるのだと思います。そんな外部の人にとって福祉系の方の集まりというのはどこかで居心地が悪い場になっているのかもしれません。
 
まず視野狭窄傾向の私が考えたのは、視野を広げるために大切なことは他分野にも関心を向けること。ならばタダーズ・コーヒーや多田図尋常小学校で他分野の方と出会うこともその一助になっているはずです。
次にT.eng氏が感じた福祉関係者の「正義」とは何でしょうか。私なりの福祉系の方の「共通認識」を考えてみました。
 
「健常者中心の現在の社会では、未だ障害者は多くの不利益を被っている。私たちはその不公平を一刻も早く是正しなければならない。行政のサポートも未だ不十分で、福祉団体の運営は困難を伴い、スタッフも長続きせず常に不足
している。希望は捨てないが、決して楽観はできない」
 

 

こんなところでしょうか。どれも私にとっては当然なことですが、これを他人に同意を要求することが「正義の押し付け」や外部の人の排斥に繋がるのでしょうか。

 

そんなことを考えていると内田樹氏(武道家、思想家)「共感にあらがえ」という文章に出会いました。一部要約して引用します。
 
 
「僕は「共感」という言葉には警戒心を抱いています。今の日本は「共感過剰」な社会になっている気がします。共感できる人間だけで固まって外部の人とのコミュニケーションができなくなってきている。(中略)
なまじ共感し合うより「すいません、何言ってるかわかんないんですけど……」と言って許される方がコミュニケーションとしては健全だと思います。すべてに同意しなくても重要な点がだいたい一致すれば十分、一緒に仕事はできるんです。もっと言えば理解も共感もできないけれど、この人は約束は守るし決めたルールには従うなら、一緒にチームを作って大きな仕事だってできます。(このことが)べたついた共感よりも、集団で生きてゆく上ではずっと大切です。共感や理解は他者と協動するための絶対条件じゃありません」
 なるほど。共感も理解もしなくても一緒に仕事ができるというのは大きなヒントです。確かに対話を通して同じ思いを共有することも大切なことですが必要以上に共感したり、無意識に共感を要求すると外部の方に対して柵を作ってしまうこともあり得ます。まずはその危険性を考慮に入れておくことがT.eng氏の指摘された「福祉の職場的な息苦しさや専門の柵」を外すことにつながるように思います
これは福祉分野のみならず、全ての分野に当てはまることだとも思います。
 皆さんはT.eng氏の提言について、どのように感じられましたか。