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766 多田図尋常小学校の人々 「心の奥にしまい込んでいる宝物があるかも」


 1時間目は元小学校教師、井上清三さんの社会科。「禁酒法と民主主義」。1920年に成立したアメリカの禁酒法は、お酒の密造や犯罪の増加という多くの矛盾と欠陥を抱えながらも、あくまで「禁酒」という理想を掲げる国民の大多数に支持され続けたそうです。そして次の最終回で廃止に向けての動きに入ります

 そして2時間目は校長(中城)が井上清三さんにインタビュー。ご自身の人生を振り返っていただきました。

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 私、井上清三は1951年に福島で生まれました。生まれてからしばらく福島市のはずれの大陸からの戦争引揚者住宅に住んでいました。そこは子どもたちで溢れていて、中学生が子どもの集団を引き連れて、たとえば缶蹴りなど、集団で遊び回っていたような気がします。私は少し遠い幼稚園に入園し、自転車出勤をしていた父に送ってもらってました。帰りは確かバスだったと思います。警察署勤務の父は1〜2年ごとに転勤するので、私は小学校を5回ほど転校しました。どこの学校に転校しても私はやたら自己主張をしていて「お前、野球うまいの?」と聞かれると、ホントはへたくそなんだけど「うん、レギュラーだった」と出まかせを言ってましたね。警官の子どもなのに嘘ついてごめんなさい。実はあまり運動神経が良くなかった私ですが、小6の時に全校マラソン大会で4位となってから自信がつき、なぜか算数もできるようになりました。

 そして中学校ではたまたま卓球を始め、市の卓球講習会があり日本選手権級の選手に「お前は基本のフォアハンドからみっちりやれ」と言われて火がつきました。その日から毎日、学校でも家でもひたすらフォアハンドの練習を続けたのです。他にそんなに練習する奴はいなかったので、校内では無敵の「スマッシュの井上」と言われて、部長にもなりました。しかし対外試合に出るとぼろぼろ。相手に変化するカットボールやバックハンドを打たれると全く返せず、最後は相手が馬鹿にして緩い球を送ってくる始末。その悔しさから今度は友達に毎日カットボールを打たせて必殺技を研究、卒業までどうにか対外試合で一勝を上げることができました。でもスポーツにはちゃんとしたコーチが必要なんですよね。

 高校は一応進学校(男子校)ですが、旧制中学の伝統で、ほぼ全員、学ランに学生帽、下駄でカランカランと通学していました。高校では遅ればせながら思春期(?)に入り勉強には向かわず成績はどんどん下がるばかり。唯一の得意学科は数学でしたが、大学は理科大、新潟大、山形大などを受験したのですが、やはり全く歯が立ちませんでした。特に理科大の数学は1問も解けませんでした。

             (まとめ 中城)

 

 井上清三さんの感想です。

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 1時間目の禁酒法の授業は終盤に入り、禁酒法廃止のステージに。禁酒法廃止の盛り上がりがあるのに、なかなか廃止にならないという所がおもしろかった。「建前と本音」、この均衡を破るのはなんだろうか?次回は最終回、私も楽しみ。

 

2時間目は、私を題材にした授業。校長から「井上清三の生き方」なんてこっぱずかしい題名を提案されて、何を話そうかと思っていたんだ。そこで前もってパワーポイントに私の歴史のようなメモを作って、それを元に話をしようと一週間前に思ったわけ。メモを直前に校長に送ると「これを使うと原稿棒読みや、なぞって語ることになるからつまらないですよ。これはやめて生で行きましょう」と提案され、校長がインタビューで私の生の声を聞くという授業になったんだ。生まれてからのことを聞かれ続けて40分たっても高校までだった。これまでインタビューゲームは数多くやったけど、高校までのことを丁寧に聞かれたのは初めてかも。校長に「この高校時代に井上さんができあがったのかも」なんて言われた。部活もせず、男子校で浮いた話もなく、ほとんど覚えていない高校時代だと思っていたけど、さらに深く掘るとなんか出てくるかもしれないと思った。今度、私の高校時代を思い出して書いてみようかな。なんか無意識に恥ずかしくて心の奥にしまい込んでいる宝物があるかも。私の「色覚異常」がそう。それをカミングアウトして人生が大きく変わったのが45歳だもんね。