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774 多田図尋常小学校の人々「『Coffee Break Music In Tadaz』 いかがだったでしょうか」


2時限はプロの音響技術者T.eng氏の「音楽と時代背景」ですが、今回から名前を改め「Coffee Break Music In Tadaz」となりました。
 今回はヴァイオリニストシリーズの第2回で、高い技巧に加えてヴァイオリンの響きや音色を大切にしたナタン・ミルシテインと、7歳でウィーン高等音楽院、12歳でパリ高等音楽院をいずれも首席で卒業した天才フリッツ・クライスラーの二人を紹介していただきました。
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ナタン・ミルシテインは1903年生まれのウクライナ出身。前回取り上げたハイフェッツとは名教師・レオポルド・アウアーを師匠を持つ同門にあたります。ペテルブルグ音楽院に入学するもロシア革命で祖国に戻れなくなり、ヨーロッパで活躍する最中、名ヴァイオリニストのウジェーヌ・イザイの教えを受けたりしました。音楽的にはハイフェッツ同等の高い演奏技巧を持ちつつもアプローチが異なり、響きや音色で鳴らすフランコ・ベルギー系のスタイルで、耽美な貴公子的な余裕を持って弾いていました。ミルシテインはスタジオ録音がやや少なく、どちらかといえばライブで名作を変幻自在に描けるタイプの奏者でもありました。その意味で録音されたものが彼の本質の全てを表しているわけではありませんが、それでもなお伝説的奏者の一人でもあり続けています。
 
そんなミルシテインやハイフェッツを評価したオーストリア出身の世界的ヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラーは1875年ウィーン生まれ。7歳でウィーン高等音楽院に入学、10歳で首席で卒業、さらにパリ高等音楽院に入学し、12歳で首席で卒業という天才でした。
 

1923年に来日しましたが、演奏会の入場料は高く、当時大卒の初任給が50円の時代に15円もしたそうです。が、それに見合う以上に演奏も素晴らしかったとのこと。1950年に引退したのですが、それ以降も後進への支援を惜しまない人格者でもありました。そんな人格が端的に表れているのが自作曲「愛の挨拶」。この作品は数多くの奏者が取り上げていますが、自身の演奏が「原点にして頂点」という意味でも大変貴重な遺産です。クライスラーはRCAの録音が多く、たくさんの名演奏を聴くことができるので、私たちはとても幸運だと思います。一方で音色や情緒を重んじる当時の時代感にありながら、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のように決してそこだけに流されることのない音楽の本質を描き出す普遍性をも十分に持ち合わせていたと言えます。さすがに戦前の奏者ゆえ、現代と比べれば残っている音源も限られていますが、1926年に録音されたメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲をお聴きください。先に聴いていただいたミルシテインのそれと引けを取らないころが良く分かります。

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 天才は、幼少の時からその才能は開花しており、その天才ヴァイオリニスト、クライスラーに「私のヴァイオリンは壊した方がいい」と言わせたハイフェッツ(*前回紹介)はとてつもないヴァイオリニストだったのですね。T.eng氏の一言感想です。
●「音楽と歴史」改め「Coffee Break Music In Tadaz」 いかがだったでしょうか。次回はヌヴーとヘンデルを取り上げます。