788 多田図尋常小学校の人々 「私のバカな偏見が溶けていく」


1時限は元小学校教師、井上清三さんの社会科の徳川綱吉の「生類憐みの令」4回目で、今回から「犬」そのものに焦点を合わせていきます。生類とはすべての生き物が対象でした。特に農村の馬を大切にしたかったのですが、街中では馬はいなかったし、より多くの人との関わりのある犬を大事にすることに力を入れます。まずは犬の登録制度を始めました。ところが登録した犬が行方不明になると殺した疑いをかけられ重罪に問われるので、必死で町中で犬を探し回ったり、見つからない場合は似たような犬を盗むことが横行。困った幕府は盗むことを禁止するとともに迷い犬は保護して飼い主が判明したら返すことを命じました。いつの時代も新しい制度を導入すると大きな混乱が起きます。次回はさらに「犬」に踏み込んでいきます。
ご自身の授業の後、井上さんは次の2時限目の渡邊愁さんの授業でインタビューゲームにも参加されて、ご自分の中の偏見意識にも気づかれていったようです。少し長いですが、井上さんの奥深い感想をお読みください。
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「生類憐みの令、まだまだ続きます」
社会科は天下の悪法「生類憐みの令」、今回は第2部に入りました。有名な「犬」について、元禄の時代の人達はどう考え、それに対して幕府はどう対処したのかについて考えていきます。綱吉が良かれと思ってだした法律、市井の人たちも困り幕府も困り、さあこれからどうなるか次が楽しみです。実はこの授業、3部もあるのです。まだまだ続きます。
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 「私のバカな偏見が融けていく」
 私は長年、色覚差別撤廃の運動に取り組んできました。ただ、取り組み始めたのは、45歳と大分年齢を重ねてからのものでした。子ども時代、色覚検査表が読めないことに劣等感を持っていました。10代では、進学就職の際に制限があることを知りました。色覚当事者と言っても、見た目は変わりません。だったら、隠せばいいということと色覚検査表を暗記すればなんとかなるという感じで通しました。色覚当事者が、色覚の知識を知らないまま長年生きてきたのです。当然、「ダメな奴」という自分自身が当事者であるのに色覚差別意識を持ち続けたままです。その後、当事者同士の話し合いに参加することが多くなったのですが、けっこう私のような経験者が多いようです。
私の場合は親が「お前がちゃんとしてないからだ。おまえが悪い。」調でしたので、逆に「何くそっ」調の反発しか起こりませんでしたが、責任を感じてしまった親が「かわいそうな奴」調で対され酷く傷ついた経験をしてきた人もいたようです。医者を早くから諦めた人、車の免許が取れないとずっと思っていた人、結婚を諦めた人等々ホント数えきれい程のストーリーがあります。それにそれに、今でも、「色覚多様性」が言われ「色覚検査によって、色彩識別能力を測ることはできない」という知見が出ていても、一部に進学・就職差別が残っているのです。

色覚に関するだけでなく、差別意識というものは根深く人の身体に根付いているものなんですね。そういうものを一人ひとり意識しない限り、差別はずっと根付いたままのような気がします。なんたって、色覚当事者に色覚差別の意識があったもんね。

 私が色覚当事者であることをカミングアウトしたのは、45歳の時、教育関係の会で「インタビューゲーム」というものをやった時でした。聞かれるままに自分の経験を語り、自分のつらかったことや自分の中の逆差別意識に気づかされたような。こういうことは言った方が、発表した方がいいということを感じたような。それから、色覚差別撤廃の会の運動を知り、今にいたっています。
 もう一つ、自分の差別意識を感じたことがあります。同じころにエイズの問題が大きくマスコミに取り上げられていました。ちょっとしたきっかけで、この運動に少し参加することがありました。その頃、エイズと言えば「恐ろしい病気。触れただけで感染してしまう」なんてデマが飛び交い、私自身「差別意識」を膨らましていた感じがします。でも参加してみて、当事者の話を聞いて、エクササイズに参加して、自分の差別意識を考えさせられたような気がします。この全世界的な運動で、エイズに関する自分の「差別意識」を感じた人は多いように感じます。
 今回、LGBTの当事者である渡邊さんにインタビューさせていただきました。私のバカな好奇心からの質問で失礼があったかもしれません。質問していて、私の「同性に恋をするなんて・・・」という偏見意識を感じました。「女が武道?」という偏見もです。でも、他の人のインタビューで、お酒に興味があることや、きのこがダメということを知り、椎茸が苦手な私は、なんか渡辺さんを身近に感じました。渡辺さんとこれから対することで、私のバカな偏見が融けていくような気がします。こういう偏見・差別、私の身体にはいろいろあるようです。
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この感想をいただき、井上さんとお話しした後、次のようなコメントをいただきました。
「偏見・差別意識」は誰にでもあるよ

「偏見・差別意識」は誰にでもあるよ・・・そういうことは、身近な当事者の話を聞いたり質問したりする中で気づいてくるような・・・そう私は言いたかった。(性差などの外側ではなく)その人の中身で付き合う」という考えは正論だと思うけど、ちょっとした自分の偏見・差別を意識しないとそのまま残っちゃうよ。未だに社会の中で、色覚に対して制限が残っているというのはそういうことなんじゃないのかな。極端な話、好奇心マックスの質問なんていい機会だと思うけどなあ。そして、そこに出てきた自分の「偏見・差別意識」を話したいし考えたい。