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801 多田図尋常小学校の人々「合唱部に入っておけばよかった」


3時限目は無農薬野菜生産者、坂梨勝一さんの「美味しい野菜とリトグリが好き」という授業です。
長くタダーズ•コーヒーに参加されている坂梨勝一さんに、昨年、多田図尋常小学校の授業をお願いしたところ「絶対にやだ」と断固拒否。
「私は農家でもないし農業が好きなわけでもない。
 農業をやっている理由なんか説明できません」
「でも坂梨さんの野菜の味はスーパーで買う野菜と確実に違います。そのわけを伺いたいんです」
「それは美味しい野菜が好きなだけです。
 それなら・・」
 ということで授業をお引き受けいただきました。
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 元小学校教師井上清三さんの元教え子のHさんから10分インタビューがスタートしました。
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 私は専業農家だけど、農家さんと言われることに違和感があります。自分にとって農業は、特別な仕事ではなく、単純に食べるための仕事を続けていたらこうなりました。でも農への原点らしきものはあります。私は熊本大学で新聞部で活動していて天草の農漁村に取材に行きました。熊本から90キロくらいですが原チャリで通いました。天草は自然が豊富で美味しい魚や、農産物もたくさん取れます。でもそれだけでは食べていけないと、町は巨大火力発電所の誘致に動いていくのです。それって何かがおかしいぞと考え始めると大学の講義や授業が全く耳に入らなくなって、ソワソワしてきたのです。自然に囲まれた構内で、風に吹かれて緑の匂いを嗅ぐたびに「天草であんなことが起きている。俺はここで何をしているんだ。時間がもったいない」と。その時、なんとなく「俺は就職しない」と思いました。
 天草の方で確か中井さんという方が「自分の暮らしは自分で作る」と、包丁研ぎから車検まで、あらゆることを自分でやってしまう活動をされていて、それをみてなんだか嬉しくなってきました。また別冊「思想の科学」の水俣特集にも大きな影響を受けました。当時、水俣はチッソという大きな会社の城下町みたいで、水銀で病気になっても誰にも言えない。チッソの悪口などとんでもないという雰囲気だったそうです。そこからなんとかしようとさまざまな団体が集まって水俣で活動をしていたんです。
 でも私が22歳の時に、父が他界、残された母と病気の兄がいる横浜に帰ってきました。農に憧れもあったのでしょうか。有機野菜の八百屋さんで働き始めました。それから運送トラックや、保育園を経て、今に至っています。嫌なことも我慢して長いものに巻かれるのが数勢の今の社会はどこかおかしい。そうではなく自分の暮らしは自分で作りたいと思っていたのですが、八百屋さんに就職してしまいました。でもその後、東北大震災の頃、独特な経営方針の保育園に勤めていたんですが、ワンマン園長が強引な、おかしなことを言っても職員は黙って何も言わない。そんな様子を見て、これこそ水俣や福島の原発事故を生み出す社会の原因だと感じて続けられなくなりました。 
 また水俣病の患者さんとともに甘夏を生産していた水俣センター相思社代表の柳田耕一さんや、『チッソ水俣病患者連盟』の委員長の川本 輝夫さんにも影響を受けました。当時、支援者や学生の応援を受けて、患者さんたちがチッソの東京本社に座り込みをしていたんですが、試験の時期になると学生がすっといなくなるんです。
 

多くの患者さんたちは「仕方ない」と受け止めていたんですが、私には強い違和感がありました。川本さんは「この学歴社会(システム)が変わらないと、水俣病は何回も起きる」と言っていました。
 話は変わりますが、私はアイドルの中でもリトグリが大好きなんです。特にあのハモリ、アカペラが大好きです。2019年のラグビーのW杯のテーマソングを聴いて気になっていたのですが、リトグリが紅白に出場した時、センターの子が涙を流して歌っているのを見て、完全にハマってしまいました。
 実は1/7のライブにファンクラブ枠で申し込んでいたチケットに当って、初めてリトグリのライブに行ってきました。一時3人に減っていたリトグリのメンバーも新しく3人が加わり新生リトグリの完全復活でした。前から7列目のいい席で、彼女たちが私を見つめているようで、この50代のおじさんが舞い上がてしまいました。今まで画面でしか見られなかった彼女たちがとても大きく見えました。またCDで聞き慣れていた曲が全然違う。こんないい曲だったんだと驚きました。次回の7月ライブもファンクラブ枠で申し込みました。今からワクワクしています。
 そもそも私は学校の音楽の成績はいつも「2」。ところが校内合唱コンクールなどのイベントがあると燃えるんです。ある年、そんな私を見た音楽教師が通信簿の備考欄に「歌唱力」って書いてくれて、嬉しかったです。私の入った部活は地味な部が多かったけれど合唱部にでも入っておけばよかったとつくづく後悔しています。

そして放課後フリートーク
 坂梨さんへのインタビューがあまりに盛り上がったので、質問者を交代して、坂梨さんへのインタビュー続行です。まず坂梨さんを3年間手伝った井上清三さんから
「以前、坂梨さんが保育園で子供を連れて散歩中、トラックドライバーを見て「俺は保育者なんかじゃない」と思ったと聞きましたが、男はこうだという美意識があるんですか。畑でも喋らず黙々と作業されているので、高倉健みたいだなと思ったんですが」
「いや、男とかありません。一緒にいた女性の職員たちの中で一人浮いていたので、ここは俺の居場所じゃないと思っただけです」
 この後、インタビュアーが次々と入り乱れながら展開し、仕事の上での「クリエーション」「リスク」などについて熱く語られました。最後に、テキスタイル・プロデューサー、のんのさんが次の授業構想を説明されて終了しました。
中身の濃い、熱い時間でした。