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811 第20回 オンライン多田図尋常小学校を開校しました。

3月19日に第20回オンライン多田図尋常小学校を開校しました。元小学校教師井上清三さんと元教え子の方、タダーズ最高技術顧問でプロの音響エンジニアのT.eng氏、無農薬野菜生産者の坂梨勝一さんの4人の方にご登校いただきました。今回はゲスト「誰でも先生」の小野榛奈さんが体調不良となり、急遽、井上清三さんの特別授業となりました。
●1限目数学
「柔らかな思考を育てる数学問題集」
前回に続いて、井上清三さんのオンライン数学の授業です。教材は旧ソヴィエトで天才を育てるために作られた問題集の3問目。ある本を破りとったページ数字の組み合わせから、破ったページ数の合計を求める問題でした。解答は私はわかりませんでした。でも最後に「そうだった」というスッキリ感があり、納得のいい問題です。そして後半は井上さんが教える空手「真剣道青嵐会」の師匠様が書いた通信文の音読。長崎で被爆された体験文で続きも楽しみです。
●2時限目社会
井上清三という生き方2」
   〜大学受験と空手との出会い〜
 続いての特別授業は井上さんの大学時代のお話でした。
 井上さんは予備校に通っているときに心酔していた三島由紀夫の自殺と遭遇、「俺も後を追うぞ」と夜の海辺を彷徨うも怖くなって帰ってきました。それで吹っ切れてコツコツ勉強し始め北大に入学、寮生活が始まります。入学して入った剣道部をすぐに退部した井上さんは先輩から空手サークルに誘われたもののしっくりきません。すると友達から「空手同好会を作ろう」と誘われて寮の駐車場で始めたのが「真拳道、青嵐会」。やがて友達と長崎の本部道場に行くと、小柄な師匠の迫力は圧倒的で、鋭い踏み込みで会場の公民館の床板が抜けてしまうほどでした。以来、空手に夢中になった私は大学を2回留年してしまいましたが、急に結婚することになり、慌てて勉強し卒業することができました。次回はいよいよ小学校教師になります。
●3限目音楽
「Coffee Break Music In Tadaz」チェロ編第3弾
「100万ドルトリオ」を支えた
  フォイアマンとピアティゴルスキー
 T.eng氏のDJ「Coffee Break Music In Tadaz」のチェロ編第3弾です。
 トリオ(三重奏)は強烈な個性を持つソリストが集まるため音楽的解釈でぶつかることが多く、このトリオもピアノのルービンシュタインとヴァイオリンのハイフェッツの仲が悪かったのですが、若きチェリストのフォイアマンはこの二人の巨匠とも堂々渡りあったのです。
 エマヌエル・フォイアマンはハンガリー生まれで、ライプツィヒの高等音楽院を経てベルリン高等音楽院の教授となりますが、ナチスが台頭とともにロンドンに活動拠点を移します。1941年にアメリカのカーティス音楽学校で教鞭をとり、100万ドルトリオ結成に参加するのですが、1942年に手術で腹膜炎を併発して急逝してしまいます。享年39歳。フォイアマンの演奏は難曲をさらりと弾いてしまう高度の技巧を持ち、その自在な表現に聴衆は聞き惚れてしまいます。
 フォイアマンの後を継いだグレゴール・ピアティゴルスキーはウクライナ生まれで、モスクワ音楽院に入学後、15歳でボリショイ劇場の主席チェロ奏者になりました。ところが当局から留学の許可が降りず、ポーランドに脱出を図ります。ライプツィヒのカフェで演奏していたときに、フルトヴェングラーの目に留まり、18歳でベルリンフィルの主席チェリストになりました。1942年にはアメリカの市民権を取り、カーチス音楽院で教授となり、1976年に73歳で亡くなりました。ピアティゴルスキーの演奏は激しいビブラートが特徴で朗々と歌い上げるドラマチックな演奏です。
 100万ドルトリオの演奏で私が好きなのはチャイコフスキーのピアノ三重奏です。ピアティゴルスキーが、ピアノとヴァイオリンの二人の巨匠を、見事にアンサンブルとしてまとめているのが凄いです。
そして放課後が廃止された終業後では、
 坂梨さんの畑の実況中継と、井上さんのやりたいことや、教え子の方が関心を持っていること、さらにはT.eng氏宅に設置された手回し蓄音器の紹介などが、気楽な話題がありました。
 今回はゲストの小野榛奈さんの体調不良で、急遽ピンチヒッターを引き受けていただいた井上さんありがとうございました。小野さんの早い回復をお祈りするとともに、小野さんの復活授業を楽しみにしています。よろしくお願いします。