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813 多田図尋常小学校の人々 「おもしろいことをしたい」



●2時間目 社会
 「井上清三という生き方2」
   〜大学受験と空手との出会い〜
 予定のゲスト「誰でも先生」の小野榛奈さんが体調不良となり、急遽、元小学校教師の井上清三さんの特別授業となりました。井上さんには以前、子ども時代から高校までのお話を伺っていたので、今回は大学時代からのスタートです。
 私は高校であまり活動せず、じっと本を読んだりしていました。三島由紀夫や大江健三郎が好きでした。特に大江健三郎が、社会党の浅沼稲次郎を刺殺した山口乙也を書いた「セブンティーン」を読み圧倒されました。一途に思い込んだことを実行する山口の姿にです。「自分も思ったことをやるしかない」と思ったのですが、結局何もできませんでした。そのまま受験浪人となり予備校に通っているとき、三島由紀夫が防衛庁で決起を訴えたあと自殺というニュースが入ってきました。当時、三島に心酔していた私は「俺も後を追うぞ」と一人、夜の海に行き一晩中ふらついたのですが、結局怖くなって帰ってきました。それから吹っ切れたのか、東大京大は無理だけど、コツコツやれば入れそうな北海道大学に焦点を絞り、苦手な科目(社会、理科)を必死で丸暗記して、どうには北大に入り、寮生活が始まります。
 寮には様々な学生がいて、同室の先輩が毎朝冬でも水をかぶるのを見てびっくり。でも俺に足りないのはこの修行だと次の年には自分もやっていました。入学してまず剣道部に入部したのですが、周りが経験者ばかりなのでつまらなくなって6月には辞めてしまいました。それを見た同室の先輩に市民館で開催されていた空手サークルを紹介されて行ってみたのですが、空手の型ばかり繰り返すのを見てしっくりきません。すると高校時代に他の流派の空手をやっていた友達が「二人で空手同好会を作ろう」と誘うんです。聞くと、その空手は型ではなく、防具をつけて実際に殴りあう流派で、興味が湧き乗りました。とりあえず稽古場は寮の前の駐車場。流派の名は「真拳道、青嵐会」。

 

防具をつけた稽古も名前自体も変わっているので、学内で有名になって多くの学生が集まりました。そのうち友達から長崎の本部道場に行こうと誘われ、35時間かけてはるばる行ってきました。この空手の流派を作られた師匠の方は小柄でしたが、その迫力は半端でなく、その鋭い踏み込みで会場の公民館の床板を踏み抜いてしまい、結局、自分たちで新しい道場を作ることになります。そこからさらに空手にはまり込んだ私は、ほとんど大学に行かず2回も留年してしまいます。けれどもある出会いから結婚することになり、慌てて勉強し始めてなんとか卒業することができました。

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古い友人の井上さんの知らなかったお話は、興味深いものがありました。次回はいよいよ小学校のお話です。井上さんの感想です。

 

●「おもしろいことをしたい」
次の2時間目は、ゲストの方の体調不良で、急遽私へのインタビュー授業になった。高校卒業してから大学卒業までかな。インタビューは何かの何げない質問から、自分の潜在意識の中に埋没しているものがポロリと出てくるのがおもしろい・・・と私はそう思っているみたい。Tエンジニアさんの「今、何したい?」の質問にまったく答えが出なかったんだ。いろいろ例を出されたけど、まったく実感が伴わない。必死で考えて出てきたのは「おもしろいことをしたい」。その時自分が「おもしろい」と思うことは、インタビューされている自分としては、ジグソーパズルのような自分の全体像の中にまだ埋まっていないピースが、会話の発見からぴたりと入ることが・・・「おもしろい」のかなあ。だから、子どもの頃や学生時代のバカな時代のことを根掘り葉掘り聞かれて、ポロリと出てくるピースを集める・・・これが私の趣味なのかも。だからいろいろ聞いてほしいし、逆にインタビューする時は相手がポロリと何かを吐き出すように聞いてみたい。次もあるみたいだけど、今度は小学校の先生になってからかな。教え子からインタビューされて、ポロリとおもしろいものが出てくるかも。