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814 多田図尋常小学校の人々 「次はロストロポーヴィチとデュ・プレを取上げます」


●3限目音楽
「Coffee Break Music In Tadaz」チェロ編第3弾
「100万ドルトリオ」を支えた
  フォイアマンとピアティゴルスキー
 3時限目はT.eng氏のDJ「Coffee Break Music In Tadaz」のチェロ編第3弾です。この「100万ドルトリオ」というのは、ピアニストの巨匠ルービンシュタイン、超絶技巧のヴァイオリニストのハイフェッツと世界的チェリストのフォイアマン(*フォイアマン亡き後はピアティゴルスキーで再結成)という超最高レベルの演奏家3人によるトリオで、3人のギャラを合わせると100万ドルです。
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トリオ(三重奏)は強烈な個性を持つソリストが集まるため音楽的解釈でぶつかることが多く、このトリオもピアノのルービンシュタインとヴァイオリンのハイフェッツの仲が悪かったのですが、若きチェリストのフォイアマンはこの二人の巨匠とも堂々渡りあったのです。 
 エマヌエル・フォイアマンはハンガリー生まれで、5歳でウイーンに移住し11歳でデビューします。第一次世界大戦中にライプツィヒの高等音楽院に入学し高く評価され、その後、管弦楽団の主席チェリストとして活躍し、ベルリン高等音楽院の教授となります。1930年代にナチスが台頭するとユダヤ系のフォイアマンは解雇され、ロンドンに活動を移します。1941年からアメリカのカーティス音楽学校で教鞭をとり、チェリストの指導にあたり、ソリストとしても100万ドルトリオ結成に参加しますが、1942年、手術で腹膜炎を併発し急逝してしまいます。享年39歳。ハイフェッツは大きな衝撃を受けて、しばらく演奏ができなかったそうです。
 フォイアマンの演奏は難曲もさらりと弾いてしまう高度の技巧を持ち、その自在な表現に聴衆は聞きほれました。レパートリーも古典から現代音楽まで幅広く演奏します。
 

 フォイアマンの後を継いだグレゴール・ピアティゴルスキーはウクライナ生まれのロシア人。7歳でチェロを与えられモスクワ音楽院に入学、15歳でボリショイ劇場の主席チェロ奏者になります。当局から留学の許可が降りずに汽車でポーランドに脱出を図り、その時の銃撃で抱えていたチェロは壊れてしまいました。ライプツィヒで学びながらカフェで演奏していたときにフルトヴェングラーの目に留まり、18歳でベルリンフィルの主席チェリストになりました。1929年に訪米してストコフスキーのフィラデルフィア管弦楽団、ニューヨークフィルとも共演して、1942年にはアメリカの市民権を取っています。その後、カーチス音楽院で教授となり,1976年に73歳で亡くなりました。

ピアティゴルスキーの演奏は速く激しいビブラートを特徴として、朗々と歌い上げるドラマチックな演奏です。
 100万ドルトリオの演奏で私が好きなのはチャイコフスキーのピアノ三重奏です。ピアティゴルスキーが、ピアノとヴァイオリンの二人の巨匠を、見事にアンサンブルとして完璧にまとめているのお聴きください。
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今回、三重奏を聴くとピアノとヴァイオリンが高らかに歌っていて、お互いが喧嘩しあって耳障りにならないのが不思議に思うのですが、二つ楽器の間をチェロの精妙な響きが鳴っていることに気がつきました。このチェロがあるからこそアンサンブルが成り立っている。チェロは偉いと素人ながらに思いました。
T.eng氏の一言感想です。
●次回はロストロポーヴィチとデュ・プレを取り上げます。