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818 多田図尋常小学校の人々「次回はシュタルケルとヨーヨー・マを取り上げます」


3限目音楽
「Coffee Break Music In Tadaz」
     チェロ編第4弾
 20世紀後半を代表する巨匠 
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチと
 それを渇望されたチェリスト
     ジャクリーヌ・デュ・プレ
 
おなじみT.eng氏の「Coffee Break Music In Tadaz」のチェロ編第4弾です。
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 チェロのレジェンドといえばパブロ・カザルスですが、それ以外にも20世紀後半に2大チェリストがいます。ムスティスラフ・ロストロポーヴィチとジャクリーヌ・デュ・プレです。
 ロストロポーヴィチはアゼルバイジャンのバクー生まれで7歳でチェロを始め、10歳でサン=サーンスのチェロ協奏曲をひきこなしました。16歳でモスクワ音楽院に入学し、全ソヴィエト音楽コンクール金賞受賞、以後、数々のコンクールで優勝や受賞を重ねます。しかし1970年に反体制派の作家ソルジェニーツィンを庇ったとして当局から目をつけられ国内海外ともに演奏ができなくなりました。それでも1974年になんとかビザを取得して亡命しました。芸術には民主主義が欠かせないと、体制とも喧嘩を辞さない闘うチェリストでもありました。
 体も大きいのですが、彼の演奏のスケールは大きく、演奏レパートリーも広く、同時に高い技巧を持っており、ショスタコビッチ、ブリテンなど多くの作曲家から曲を捧げられました。

 

 

 一方、デュ・プレはイギリス生まれで、4歳でラジオでチェロを聴いてチェリストになることを決心、5歳でチェロスクールに入学、10歳で国際コンクールで入賞したのです。1961年にはデビューし、16歳にして超一級のチェリストとして名声を得ていました。その時使っていたチェロはストラディバリウスです。21歳でピアニスト/指揮者のダニエル・バレンボイムと結婚し、何度も共演しました。26歳で多発性硬化症を発症して引退し、指導を続けていたのですが42歳で夭逝しました。彼女の演奏活動は実質12年くらいでしたが、非常に中身の濃い期間でした。演奏はパッションに溢れ、あの悲しげなブラームスの曲でさえ爆発的に演奏をしたのです。その中でもエルガーのチェロ協奏曲を朗々と歌い上げる演奏は圧巻です。この曲を端正に演奏するチェリストもいますが、これほどパッションに満ちた演奏はありません。おそらく誰もこれを超えられないと思います。

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 バレンボイム指揮するオーケストラと共演するデュ・プレのチェロの演奏を聴きました。三重奏はピアノとヴァイオリンの巨匠たちが「俺が、俺が」とぶつかり合うのをチェロが巧みに間を取り持つ感じに対して、オーケストラとチェロの共演は、お互いが相手をとても尊重している感じがして、気持ちよく聞けました。どちらが好きかは好みなのでしょうが。
最後にT.eng氏の一言感想です。
次回はシュタルケルとヨーヨー・マを取り上げます。