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820 多田図尋常小学校の人々 「先生の文章を再度読むいい機会になった」


●1限目 数学/音読

「やわらかな思考を育てる数学問題集」
 元小学校教師の井上清三さんのオンラインの数学の授業です。前回、井上さんの空手師匠の原爆体験記の音読が中途半端に終わってしまったので、今回は音読からスタートしました。お師匠さんは中2で原爆を体験して終戦後原爆の研究所に勤めながら空手を学び、防具付き空手を創出された方です。体験記では原爆の廃絶を強く願っているけれど、平和利用である原子力発電には肯定的な立場でした。原子力に夢があった30年前の話のようです。
 そして数学です。使ったのは旧ソヴィエトで天才を育てるために作られた問題集。今日はその6問目で「ある年の1月には金曜日が4回、月曜日が4回あります。この年の1月20日は何曜日でしょう」。まず最初の質問は「この問題を見て①全くわからない②やればなんとかできそう③すぐにわかった」を選びます。校長(中城)は①で、他の方は②。それを聞いてふとカレンダ3月を見ると金曜日が31日で5個ありました。そこで31日を木曜日にずらすと、月金が4つになります。そしてその時20日は日曜日でした。カレンダーを使うというズルをしましたが、これが正解でした。考えると、この問題集は日常生活で困ったときに、あれこれ情報を集めて解決する、そんな力を養うんだと改めて感心しました。次回に期待しましょう。
井上さんの感想です。
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 さすが校長、カレンダーを持って来るとは・・・。こういう問題、身の回りの物を利用しない手はないです。実は、私もそうしました。ヒントの「1日の曜日が分かれば、8、15、22、29日の曜日が分かる」なんてこと、解答を見て初めて知りました。ヒントの「1日の曜日が分かれば、8、15、22、29日の曜日が分かる」なんてこと、解答を見て初めて知りました。文読んで妄想するだけじゃなくて、身の回りを見てみる・・・というのも文章問題を解くコツですね。
 
 私の空手の師範である谷口先生の原爆体験談、終了しました。前回、時間がなくてもあって、最後の文を端折って読み飛ばしたような感じでした。それで終了しようとしたんですが、「まだ終わってません。最後の大事な話が残ってます」との生徒の言葉で今回もやることにしたんです。軽く先生の話をして、最後の文を音読して終了したのですが、なんかこの文を書いた先生についての話が足りないと感じました。それで、長いですが、書いてみました。
私の谷口先生との出会いは、防具付き空手を創始している人に直接教えてもらおうということで、北海道の札幌からはるばる九州の長崎まで行こうとしたことに始まる。
 

 今では飛行機で二時間もすれば会える距離だけど、当時は飛行機に乗るなんてまったく考えもせずで、船と電車で3日ぐらいかけて行ったような。札幌には雪がまだあったけど、長崎には桜が咲き始めていたような。北海道からは、私を入れて3人の旅だった。先生は、長崎駅まで迎えに来てくださり、それから1週間ほど先生の家の近くの奥さんの実家に泊まらせてもらった。夕方着いたので、先生の家で食事をごちそうになったんだけど、出された「ウツボ」が初めてで、残すと失礼だと思い無理して飲みこんで空にしたら、おかわりを持ってきたのには・・・。その時、武道初心者3人に、日本刀の前に立つこととか武道のベースを話していただいた。それから1週間の稽古、先生は長崎原爆研究所の検査技師をしており昼間勤務のため夜に稽古をしてもらった。先生は、長崎造船大学空手部の師範をしており、稽古には造船大の空手部の人にも参加してもらった。この人がめっちゃくちゃ強い。防具を付けていても顎を突かれるので、顎が切れて腫れあがり、食事の時に口が開かずで味噌汁をストローを使って飲んだような。けっこう稽古がきつく、昼間は長崎駅までバスで出て、駅前のベンチに3人で横たわっていたような。それから毎年春に造船大との合同合宿をやるようになった次第。
 先生の話は、合宿打ち上げの宴会でよく聞いた。原爆の話は、芋焼酎を飲み飲み聞いたような。確か「50mは吹っ飛ばされた・・・」と聞いたような気がするけど、実際は5mでアルコールの勢いが入っちゃったんだろう。それと、あまり宴会では話さなかったけど、当時先生が住んでいる所の地下に長崎自動車道のトンネル建設の企画が県から出されていたようで、地下水源が枯渇するという趣旨で反対運動のリーダーをしていて、けっこう激しく運動していたみたい。県による運動の切り崩しがあったみたいだけど、1人でもやるという気概でやり通し、結果トンネル建設の白紙撤回に追い込んだみたい。先生には、「千万人と雖も我往かん」の気概をいつも感じる。空手に関してもそう。「空手稽古に防具をつけるなんて・・・」という空手界からの批判にめげず、ずっとやり通してきた。今は乱取り稽古で防具をつけない流派なんてないんじゃないの。会員からお金を取らず、すべて自費。本部道場も、土台は会員が作ったもの。お金に関しても潔かったなあ。
 今回音読したこの文章、1993年発行の会報「掬泉」だけど、当時はなんか流し読みをしてしまったような。今回読んで、先生の気概を感じた。福島原発事故の前なので、原発に多少の光を感じて評価しているけど、ベースはナマで見た原爆体験で、こんな原発でも原爆に繋がることを大いに危惧していた。今は原発も危ない・・・ということ、この状況を先生はどう感じていたろうなと思う。
 先生の文章を再度読むいい機会になった。