5月21日に第24回オンライン多田図尋常小学校を開校しました。元 小学校教師井上清三さん、タダーズ最高技術顧問でプロの音響エンジニアのT.eng氏、今回のゲストである神奈川大学4年の小野榛奈さん、小野さんのご友人、無農薬野菜生産者の坂梨勝一さんの5人の方が登校されました。
その様子を少し振り返ってみます。
●1限目 数学
「やわらかな思考を育てる数学問題集」
元小学校教師、井上清三さんの好評のオンライン全力投球授業です。旧ソ連の天才を育てる問題集から井上さんが選んできました。
本日の問題は
「3人の学者が汽車に乗っています。汽車は数分間かかってトンネルを通過しますが、その間は真っ暗闇です。トンネルから出た時、3人とも同僚の顔が、窓から入り込んだススで黒くなっているのに気づき、大笑いしました。しかし突然、3人の中でも一番頭のいい人が自分の顔も汚れているに違いないと気づきました。この人はどうしてこの結論にたどりついたのでしょうか」
校長は問題の意図が把握できず、取り組めませんでしたが、ゲストの小野さんは瞬時に解答できたそうで恐るべし小野さん。今回は1勝2敗で私にとっては手強い問題集です。
●2限目 社会
校長は問題の意図が把握できず、取り組めませんでしたが、ゲストの小野さんは瞬時に解答できたそうで恐るべし小野さん。今回は1勝2敗で私にとっては手強い問題集です。
●2限目 社会
「不登校は大切な熟成のプロセス」
〜高校不登校の私の体験〜
小野榛奈さん(神奈川大学学生)
高校時代に不登校を経験した小野榛奈さん(神奈川大学生)にお話を伺いました。
運動が大好きだった小野さんは陸上で高校に推薦入学しましたが、怪我をしてしまい、理想と自分の状態にに挟まれ、次第に学校が嫌になって不登校状態となり、思い切って通信制高校に転校しました。でも気がつくと本やゲーム三昧となり、これではいけないと高校の先生に相談して大学進学を目指して勉強を始めました。大学は不登校の体験からスクールカウンセラーになりたいと心理学を学ぶために神奈川大学を選びましたが、入学後はコロナの影響でリモート授業ばかり。でも面白そうな授業を聴講できるし、レポート提出で単位が取得でき、楽しかったそうです。現在、地域活動に参加して人との出会いを通して学ぶ中、将来は福祉関係に行こうかと思い始めているとのことでした。
〜高校不登校の私の体験〜
小野榛奈さん(神奈川大学学生)
高校時代に不登校を経験した小野榛奈さん(神奈川大学生)にお話を伺いました。
運動が大好きだった小野さんは陸上で高校に推薦入学しましたが、怪我をしてしまい、理想と自分の状態にに挟まれ、次第に学校が嫌になって不登校状態となり、思い切って通信制高校に転校しました。でも気がつくと本やゲーム三昧となり、これではいけないと高校の先生に相談して大学進学を目指して勉強を始めました。大学は不登校の体験からスクールカウンセラーになりたいと心理学を学ぶために神奈川大学を選びましたが、入学後はコロナの影響でリモート授業ばかり。でも面白そうな授業を聴講できるし、レポート提出で単位が取得でき、楽しかったそうです。現在、地域活動に参加して人との出会いを通して学ぶ中、将来は福祉関係に行こうかと思い始めているとのことでした。
駆け足でしたが、小野さんの足跡をたどりつつ、将来についても伺うことができました。ありがとうございました。
●3限目 音楽
「Coffee Break Music In Tadaz」
バリスタの気まぐれブレンド編第2弾
「ムラヴィンスキーとシフラ」
〜時の政権と喧嘩したロシアと東欧の名演奏家〜
T.eng氏(音響エンジニア.)
前回から始まった「バリスタの気まぐれブレンド」シリーズ。今回は時の政権と喧嘩した二人の演奏家を取り上げました。
サンクトペテルブルク生まれの指揮者、エフゲニー・ムラヴィンスキーは叔母の推薦でレニングラード音楽院に入学。1929年のプロ指揮者デビュー以来キーロフ・バレエ、ボリショイ・オペラなどで実績を積み、1939年にはレニングラード・フィルの主席指揮者に就任しました。ムラヴィンスキーに鍛えられたレニングラード・フィルは国際的名声を得て行きます。ラストコンサートは1987年で1988年に亡くなります。ソ連の指導部に反感を持ち、反政府小説家ソルジェニーツインの弾劾決議文の署名を求められた時にも拒否しました。厳格な音楽的解釈、キッチリとしたテンポにより、かのレニングラード・フィルを手足のように使いこなす指揮で、レパートリーもチャイコフスキー、ショスタコーヴィチからモーツアルト、ベートーヴェンまで幅広いものでした。
バリスタの気まぐれブレンド編第2弾
「ムラヴィンスキーとシフラ」
〜時の政権と喧嘩したロシアと東欧の名演奏家〜
T.eng氏(音響エンジニア.)
前回から始まった「バリスタの気まぐれブレンド」シリーズ。今回は時の政権と喧嘩した二人の演奏家を取り上げました。
サンクトペテルブルク生まれの指揮者、エフゲニー・ムラヴィンスキーは叔母の推薦でレニングラード音楽院に入学。1929年のプロ指揮者デビュー以来キーロフ・バレエ、ボリショイ・オペラなどで実績を積み、1939年にはレニングラード・フィルの主席指揮者に就任しました。ムラヴィンスキーに鍛えられたレニングラード・フィルは国際的名声を得て行きます。ラストコンサートは1987年で1988年に亡くなります。ソ連の指導部に反感を持ち、反政府小説家ソルジェニーツインの弾劾決議文の署名を求められた時にも拒否しました。厳格な音楽的解釈、キッチリとしたテンポにより、かのレニングラード・フィルを手足のように使いこなす指揮で、レパートリーもチャイコフスキー、ショスタコーヴィチからモーツアルト、ベートーヴェンまで幅広いものでした。
一方の超絶技巧のピアニスト、ジョルジュ・シフラはブタペストでロマの家系に生まれ、フランツ・リスト音楽院に入学しますが、21歳で徴兵され脱走を図り、ソ連側の捕虜になってしまいます。2年後に再び脱走して捕まり、新生ハンガリー軍の戦車長となって終戦を迎えました。終戦後、亡命を試みて失敗、投獄されます。3年後のハンガリー動乱でようやくウィーンに亡命できました。以後、ウィーンを拠点にして欧米で活動をしフランス国籍も取得します。酒豪でヘビースモーカーのシフラは肺癌を患って1994年に72歳で一生を終えます。演奏はリストの作品の絢爛豪華で超絶技巧の演奏が有名ですが、ショパン作品では内面的で繊細、クープラン作品では抒情性に富んだ演奏も高く評価されています。演奏のベースには、放浪するロマのような苛烈な半生があるのでしょうか。
放課後
3限目終了後、3限目から参加された坂梨さんから
畑作業が捗らず大変の状況との報告をされた後、質問がありました。
「神奈川大学の学生さんの話はどうなったですか?」
「2限目にやりましたよ」
「えっ!9時30分からと思っていました。
すごく楽しみにしてたのに!残念!」
ゲスト授業はゲストのご都合で3時限になる場合が
ありますが、原則2時限です。よろしくお願いいたします。
多田図尋常小学校 中城