一方のジョルジュ・シフラは1921年にブタペストでロマの家系に生まれました。居酒屋やサーカスで即興演奏を行い、その後、フランツ・リスト音楽院に入学しました。21歳の時にハンガリー軍に徴兵され東部戦線に送られましたが、列車から飛び降りて脱走を図るも国境でソ連側に発見され捕虜になってしまいます。2年後、収容所から脱走するのですが再び捕まってしまい、今度は新生ハンガリー軍の戦車長となって終戦を迎えました。終戦後、しばらく盛り場でピアノを弾いていましたが、ハンガリーにも共産政権が成立したので亡命を試みますが失敗。とうとう投獄され強制労働をさせられます。3年後のハンガリー動乱に乗じて、家族でウィーンにようやく亡命することができました。以後、ウィーンを拠点にして、ロンドン、パリ、ニューヨークなどで活動をし、1968年にフランスに定住して国籍も取得します。その時に、フランス語に改名します。1981年には世界的に活躍していた息子のジョルジュ・シフラ・ジュニアを自宅の火災で失い、大きなショックを受けて活動も低迷するのですが、1990年ごろから復帰に向けて活動再開しました。酒豪でヘビースモーカーでもあったシフラは肺癌を患って1994年に72歳で波乱万丈の一生を終えます。