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835 第26回 オンライン多田図尋常小学校を開校しました。


 6月18日に第26回オンライン多田図尋常小学校を開校しました。元小学校教師の井上清三さん、タダーズ最高技術顧問でプロの音響エンジニアのT.eng氏、無農薬野菜生産者の坂梨勝一さん、今回のゲストである福祉施設スタッフの児玉真由美さんの4人の方にご参加いただきました。その様子を振り返ってみます。

 

●1限目 数学
「やわらかな思考を育てる数学問題集」

   井上清三さん(元小学校教師)


 
前回の宿題2問からスタートしました。宿題1問目はコップのミルクと紅茶の濃度の問題でした。

 

問題15 

 コップに入っているミルクから大さじ3杯分のミルクを取り出して別のコップに入っている同じ分量の紅茶に加え、よくまざるようにかきまぜます。かきまぜたものから大さじ3杯を取り出し、それをミルクのコップにもどします。さてこうしたあとで紅茶のコップの中のミルクの割合と、ミルクのコップの中の割合とを比べたとき、大きいのはどちらでしょうか。

 

解答を見た井上さんの感想です。

「なんだよ!」という感じかな。だって、ミルクの中の紅茶の割合と紅茶の中のミルクの割合は、同じ量ずつ分け合ったっていつも同じ。(中略)

 総量が同じなのだから、ミルク:紅茶=紅茶:ミルクなわけ。計算、図示、まったく必要なし。なんかバカにされているような問題でした。

 

 校長(中城)にはわからず、この天才シリーズで自分のわからなさと付き合うことになりそうです。

●2時限目 社会
 「私の中の軸になるもの」
〜イスラエルの宗教哲学者
       マルティン・ブーバー〜
      児玉真由美さん  
児玉さんが「迷った時はブーバーだったらどうするかを考えます。私の中の軸です」と言うくらい児玉さんに大きな影響を与えているブーバーについて語っていただきました。
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 学生時代にブーバーに関する書籍「孤独と愛」から「我と汝」という対話を大切にする考えに触れ、惹かれて読み続けたそうです。フリースクールスタッフをしているときに、偶然ブーバーの研究者と出会ったことから、大阪の大学に通って真剣に学ぶことになります。気がつくとブーバーの考え方がご自身の中の軸となり、迷ったときの指針となっていたそうです。
 その後、坂梨さんから「今回のお知らせメール紹介文に書いた、校長が体験した児玉さんとの不思議な会話の話を知りたい」という質問からブーバーのいう「我と汝」の具体的なイメージが浮かび上がってきたのが不思議でした。

 

●3限目 音楽
      「Coffee Break Music In Tadaz」
 本日のバリスタの気まぐれブレンド
モダン・バッハと
ピリオド・バッハの頂
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カール・リヒターと
グスタフ・レオンハルト
 
         T.eng氏(音響エンジニア)
 様々な音楽に影響を与えているヨハン・セバスチャン・バッハという「音楽の大河」。その大河に挑み続けたドイツ生まれの「カール・リヒター」とオランダ生まれの「グスタフ・レオンハルト」を取り上げました。
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 1926年にドイツで生まれたリヒターは、ライプツィヒ音楽院、聖トーマス教会のオルガニストを経て、ライプツィヒ・バッハ・コンクールのオルガン部門で首席を獲得し、ミュンヘンでオルガニストとなります。その後、ハインリッヒ・シュッツ合唱団で、バッハのカンタータを指導訓練してミュンヘン・バッハ合唱団と改名、合わせてミュンヘン・バッハ管弦楽団も設立しました。1958年にクラシック音楽の金字塔と言われる「マタイ受難曲」を録音し、さらにカンタータ全曲を20年以上かけて録音しました。1981年に51歳の若さで死亡します。リヒターはバッハの表現を通して音楽を作る本当の喜びを伝えてくれているように思います。
 一方のグスタフ・レオンハルトは1928年にオランダで生まれました。小さい時から古典に馴染んで育ち、やがてチェンバロを習い1950年に「フーガの技法」でプロデビューします。ウィーン音楽アカデミー、アムステルダム音楽院にて指導、教会オルガニストにも就任します。1972年から1990年まで20年かけてカンタータの録音を始めたことで躍進を遂げます。古楽器の再評価のために精力的に活動を続けて、2012年にアムステルダムで死去します。古楽器のパイオニアとしてその高い演奏力を、また後進の育成にも力を入れて、多彩な活動を行いました。
 カール・リヒターは現在の楽器をフルに使って、バッハの音楽解釈も革新的に行い、グスタフ・レオンハルトは古楽器を使い、当時の音楽解釈を試みる。この2大巨匠の残したものは、決して色褪せることはないでしょう。