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837 多田図尋常小学校の人々「『会話ができた』という言葉がキーになりました」


 

●2時間目社会
 「私の中の軸になるもの」
 〜イスラエルの宗教哲学者
          マルティン・ブーバー〜
 
   児玉真由美さん(福祉施設スタッフ)   
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 前々回、子ども食堂について語ったいただいた児玉真由美さんの再登場です。児玉さんと初めて出会った
校長(中城)はその言葉のやりとりが気持ちよく「初めて人と会話ができた」と感じたことを覚えています。
児玉さんの話にイスラエルの宗教哲学者のマルティン・ブーバーの
真に大切なのは「我-汝」関係」
という話が出てきて「迷った時はブーバーだったらどうするかを考えます。これが私の中の軸になっています」と言われます。今回、児玉さんに大きな影響を与えているブーバーについて、考えていることなどをやさしく語っていただきました。
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ブーバーと「孤独と愛」
 マルティン・ブーバーは1878年にウィーンの
ユダヤ教徒の家庭に
生まれます。若い時から哲学に興味をもち、イスラエル建国をきっかけにシオニズムの影響を受けましたが、次第に異端視されるようになっていきます。ヘブライ大学で講師を務め、イスラエルとパレスティナという二つの民族からなる1つの国家を作ることを願って活動し、双方から信頼をえていました。1965年に87歳で亡くなったときも、対立していたイスラエル、パレスチナ双方の有力者がお葬式に参加したことが有名です。
 彼が1923年に出版した「我と汝」は岩波の文庫本で出ています。私(児玉)が50年前に大学の先生に勧められたのが「夜と霧」と「孤独と愛」(「我と汝」の意訳本)でした。内容が難しくてよくわからないままに「これはすごいぞ」と感じて、いつも読んでいました。特に人間関係について書いてあることが、私の心に刺さったのです。
「我と汝」
 人や物との関係には「我と汝」と「我とそれ」の二つがあります。例えば音楽を気持ちいいと聴いているのは、音楽を利用しているわけで「我とそれ」の関係です。人に自分の話をしている時でも、自慢したり、相手を説得しているのは、対話ではなくこれも「我とそれ」なんです。話しているうちに、自分の中のストーリーが壊されて、自分自身が変容していくのが対話であり「我と汝」です。
ブーバーを学び直す
 その後、私はフリースクールのスタッフとして活動していた時に、大阪府立大学の吉田敦彦さんと人間関係について話をしたとき、突然「それブーバーちゃう?」と言われてびっくりしました。実は吉田さんはブーバーの研究者だったんです。それをきっかけにブーバーを再び学ぼうと思い相談したら、紹介されたのは関東では東大大学院しかなく「む、無理です」。そこで吉田さんの大阪府立大学の大学院をダメもとで受験すると、なんと通ってしまいました。おまけに神奈川から通う私のために、1日で必要な科目が履修できるよう授業時間の調整までしていただき、大阪までの週1通学が始まりました。
教会にも通っています
 私は小さい時から教会に通っていて、中学もキリスト教系で、そこで洗脳されたのか高校では洗礼まで受けていました。ところが大学に入学したころ、同志社神学部で宗教者の戦争責任を考える「戦う牧師」の運動がありました。私の尊敬していた教会の牧師も活動していたため、教会の長老たちに教会への資金を打ち切られ、やむなく退職するということになったのです。それをきっかけに私は教会に行かなくなりました。でもブーバーの学習を再開してからは、宗教についても考えるようになり、現在は地元の教会に通っています。そこでとても素敵な牧師さんとの出会いもありました。
垂直軸と水平軸
 ブーバーによると「人は皆、根本に宗教性を持っていて超越したものを信じている。目に見えない遠くの存在から光を当てられて、プリズムのように色々な光が現れるのが宗教である」と言っています。高い空から光が注いで(垂直軸)、隣の人ともつながる(水平軸)、この二つともに大切だと言います。また「人生は狭い尾根を歩いているようなもので、私は私は、と考えていると尾根から落ちてしまう。そうではなく天と自分という自分の垂直軸を意識して、それを探しながら辿っていけば尾根から落ちない。つまり「我と汝」を意識することで「我とそれ」という状態にならないのです。でもブーバーは「我とそれ」も必要であると考えて決して否定しているわけではありません。
 ブーバーが深く後悔していることがあります。あるとき若者がブーバーを訪ねてきたのですが、ブーバーは(修行の一環で)忘我状態にあり会いませんでした。ところが若者は数日後に戦死したのです。そのことに大きなショックを受けたブーバーは、以来、目の前の人と向き合うことをとても大切にしたと言います。
 私も精神の方たちの福祉施設で利用者さんから相談電話を受けているのですが、受けながら他のことを考えて聞き流してしまうこともあります。それでも聴くべき時は、きちんと対峙することを自分に課しています。ありがとうございました。
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そして尋常小学校の放課後終了数分前に、ブーバーについて面白い発見がありました。
「我と汝」と対話(坂梨さんの質問から)
 坂梨さんから「説明にあった中城さんと児玉さんの会話について知りたい」との質問が出されたのです。
これは20年以上前に、児玉さん、井上さん、私の3人で、神奈川県民センターで雑談した時の経験でした。
当時を必死で思い出しながら説明を試みました。
「児玉さんに言葉を投げかけたら、その言葉をさらに進めたような返事が返ってきて、咄嗟に自分が言いたいことを一歩進めて打ち返す。すると児玉さんがさらに先に進める。そんなラリーをしているうちに、自分が言いたかったことが少しずつはっきりしたり、自分が思っていなかったところまで進んでいたりと、とても不思議な体験をしました。私にとって初めて人と会話をしたという感覚だったのを覚えています」
すると児玉さんが「そうそう、それは私も大阪府立大学の吉田さんとの会話で体験したことで、それこそ我と汝の体験かもしれません」と。
 今回、あまり考えずにコメントに書いた児玉さんとの会話の体験ですが、その会話そのものがブーバーの「我と汝」体験だと児玉さんに指摘されびっくりしました。それがテーマそのものだったなんて。
「我と汝」と音楽ライブT.eng氏の感想)
 この一連のやりとりを聞いていたT.eng氏から「ブーバーの『我と汝』は、音楽のライブでも起きていることです。滅多に起きることではないのですが、名演奏と言われるものは、ほとんどこの状態なのでしょう。ライブに行くことをお勧めします」
 あまり関係がないと思われていたことが次々と繋がってくる不思議な時間でした。井上さんからも次のような感想をいただきました。
「我と汝」面白そう(井上さんの感想)
 児玉さんのいろんな活動の源泉を初めて聞いたような気がしました。マルチン・ブーバー、自分の身体の感覚を言葉として残し後世にも影響を与えるすごい人なんですね。初めて名前を聞きました。
 「我と汝」「我とそれ」の違い、「我と汝」こそ「対話」へと繋がり自分の変容に繋がることがあるかもしれないこと。「我とそれ」は相手を利用する関係、でもそれは日常的に当然起こることであることなんだけど、「我と汝」の対話があるかもしれないということを思っていることが大事と。「人生は狭い尾根をたどること」で、目に見えない自分の垂直軸をさがしながら・・・これがなんか頭に残っています。フラフラとブレながら落ちそうになることも認めているようでおもしろいなあ。なんか言葉の端々に、外れること、ブレることも織り込み積みのような姿勢を感じました。
ネットフリックスで見たこと
 話を聞き終わって、最近観たネットフリックスの「レクチュアリ聖域」を思いました。もうどうしようもない暴れん坊の問題児が、お金が稼げる「相撲部屋」を知って入門して・・・といった映画です。この最終回の一場面を思い出しました。いい加減な態度で相撲をやっていたんですが、あるきっかけで稽古に励むようになり、その日は一人でしこを踏んだ後に、今まではそんなことをしなかった土俵に盛られた神殿に向かっての礼を、深々とやっているシーン。信仰とかはよく分からないけど、なんか神を感じるこの気持ち、わかるような気がするんだよなあ。
神との繋がり
 もう一つ、私のやってる空手を思いました。50年以上稽古をしているんですが、試合稽古で感じることがあるんです。すごい身体が動いて、満足できる試合稽古だったと感じるときがあるんです。でも、いつもはホントしょんもない技が出て、何をやってんだ俺は・・・という稽古がほとんどかな。思うに、稽古中相手の突きが来たらどうたらこうたら・・・しょんもないことばっかり考えているんでしょうね。私はこれを「すけべ心」と名前をつけて、道場生にも言ってます。それがたまになくなって、いい稽古になることもあるんですよ。たまになくなるときは、女性の見学者がいたときなどかな。そっちの方に脳が行くようで、稽古不安の脳の暴走が止まるみたい。ちまちました私の脳を一時的に遮断すると、身体が自由に動くみたい。これって、神との繋がり?
 うわっ、すみません、意味不明のことを書いてしまって。
ライブに行った方がT.eng氏の感想)
ブーバーの『対話』をもっと知りたければライブに行った方が分かりやすいかも…と思いました。

「会話ができた」が
                キーワード(児玉さんの感想)
 先日はありがとうございました。能力不足で、ブーバーを伝えきれず申し訳なかったです。中城さんが授業紹介文に書いてくださったように、「会話ができた」という言葉がキーになりました。流石です。それがあったからこそ、私の彷徨う話に少し明かりが見えた気がしました。毎回の詳細に渡る報告に深く感心しております。いつか授業で、そのコツを教わりたいです。