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838 多田図尋常小学校の人々「次回はランドフスカとピノックを取り上げます」


●3限目 音楽
「Coffee Break Music In Tadaz」
 本日のバリスタの気まぐれブレンド
モダン・バッハと
ピリオド・バッハの頂
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カール・リヒターと
グスタフ・レオンハルト
         T.eng氏(音響エンジニア)
 ヨハン・セバスチャン・バッハの影響力は
クラシックだけでなく様々な音楽にも影響を与える「音楽の大河」です。
その大河に挑み続け大成した二人。ドイツ生まれの「カール・リヒター」とオランダ生まれの
「グスタフ・レオンハルト」を取り上げます。
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 1926年にドイツで生まれたリヒターは1937年にドレスデン聖十字架教会の聖歌隊メンバーとなり音楽教育を受け、1946年にライプツィヒ音楽院に入学し、1949年に聖トーマス教会のオルガニストとなります。1950年にはライプツィヒ・バッハ・コンクールのオルガン部門で首席を獲得し、ミュンヘンでオルガニストとなります。またミュンヘン国立音楽大学で教会音楽の授業を行います。当初、東ドイツで活動していましたが、国と相性が悪くミュンヘンに移動して活動を続けます。やがてヘッドハンティングでハインリッヒ・シュッツ合唱団の指導者となり、バッハのカンタータを指導訓練して、ミュンヘン・バッハ合唱団と改名しミュンヘン・バッハ管弦楽団も設立、1958年にアメリカで演奏デビューしました。同年アルヒーフと契約して、クラシック音楽の金字塔と言われる「マタイ受難曲」を録音し、さらにカンタータ全曲を20年以上かけて録音しました。1969年に来日してオルガンとチェンバロを演奏しましたが、現在、この音源を見つけるのはとても難しいです。そして1981年に51歳の若さで死去します。
 

 リヒターのストイックな姿勢はバッハの表現を通して音楽を作る本当の喜びを伝えてくれているように思います。またその重厚さはドイツオペラ的と取られて

バッハ的でないと批判されることもありましたが、現在の音楽スタイルを使ったその演奏は、音質のよさ、バランスの良さはまさに金字塔だと言えます。

 一方、グスタフ・レオンハルトは1928年にオランダで生まれました。両親は室内楽を演奏、父はバッハ協会に所属しており、小さい時から古典に馴染んで育ちます。やがてチェンバロを習い、1950年に「フーガの技法」でプロデビューします。1952年からウィーン音楽アカデミーにて、1954年からアムステルダム音楽院にて教授、同時に教会オルガニストに就任します。1950年代にはバッハのゴルトベルグ変奏曲、フーガの技法を録音したり、1954年にレオンハルト・バロック・アンサンブルとカンタータを録音、1972年から1990年まで20年かけてカンタータの録音を始めたことで大きな躍進を遂げます。1980年にエラスムス賞を受賞、その後も古楽器の再評価のために精力的に活動を続けて、2012年にアムステルダムで死去します。古楽器のパイオニアとしてその高い演奏力を発揮、また後進の育成にも力を入れて、多彩な活動を行いました。

 古楽器の再興には、バッハ当時と同じ楽器を使って演奏をして、そこから当時の音楽解釈をすることが必要です。例えば当時のバロックバイオリンの弦は今のようなスティールではなく、羊の腸から作ったガット弦です。音に響きは柔らかいのですが、音が小さいのです。当時の演奏会場は大きくなく、小さな室内で演奏されていました。音程も少し低いバロックピッチとなります。レオンハルトのレパートリーはバロックから古典派まで、ハイドン、バッハ、クープランなどと広く、演奏もガチガチのバッハではなく、ユーモアもしっかりあります。彼は、ある映画でバッハ役として出演したことさえあります。
 カール・リヒターは現在の楽器をフルに使って、バッハの音楽解釈も革新的に行い、グスタフ・レオンハルトは古楽器を使い、当時の音楽解釈を試みる。この2大巨匠の残したものは、決して色褪せることはないでしょう。
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カール・リヒターの演奏はクリアな感じで、レオンハルトの演奏は丸みのある柔らかい感じでした。リヒターの名前は聞いたことがありました。またテレビでチェンバロの演奏を聴いたこともありました。でも二人の巨匠が全く異なる視点からバッハに迫っていたなんて面白すぎます。ありがとうございました。
                   (中城)
T.eng氏の感想です。
●次回はランドフスカとピノックを取り上げます。ブーバーの『対話』をもっと知りたければライブに行った方が分かりやすいかも…と思いました。