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857 多田図尋常小学校の人々「とてもいい機会をいただきました」


●2限目 社会
「ごちゃ混ぜは
     気持ちいいけれど」
  〜これからの社会に大切なこと〜
 児玉真由美さん
    (子ども食堂「ホットスープ」広報連絡係)
 
 障害支援施設で働きつつ、教会で子ども食堂の運営に関わり、またドキュメンタリー映画の上映会を主催されている児玉真由美さんですが、以前より共同体に関心を持たれていたそうです。今回は、その理由を伺いました。さらには親子で参加していた共同保育所やフリースクールにも感じた足りないもの、そこで出会った吉田敦彦氏(旧大阪女子大)から得たヒントとは・・。 
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 多田図尋常小学校校長の中城さんから、私がなぜ共同体に関心を持ったのか聞かれました。そこで改めて私の過去をたどりつつ、その理由を探ってみようと思います。
ごちゃ混ぜが落ち着く私
 私は関西で一人っ子で生まれ両親と3人暮らしでしたが、家にはいつも親戚や大学生が4−5人いました。母は山口県萩市出身で結婚してから大阪の河内(今の東大阪)で鰻の寝床のような長屋のような家に住んでいました。母は兄弟も多かったためか色々な人を受け入れるのは苦でなかったようです。父は会社を経営していたのですが、騙されて倒産、失職してしまいます。それで部屋を貸すことになりました。また母の知人に芸能関係の方がいて、モデルで子役を探しているということで私が応募して採用されたのです。実は私は極端な人見知りで幼稚園に行っても誰とも話をせず、ただお弁当を黙々と食べて帰ってくる子でした。そんな私を心配した母は、この子は芸能界に行けば治ると思ったそうです。当時、テレビでは「番頭さんと丁稚どん」など大ヒットを連発させていた花登筺さんが劇団「笑いの王国」を立ち上げて、子役を募集しており、幸い私を「この子は私が預かります」と引き受けていただきました。母は苦しい時期を部屋代と私のギャラでやりくりしていたそうです。近場の劇団公演では家から通っていましたが、全国地方巡業もあり、夏休みには、私一人で役者さんや若いスタッフと劇場に泊まり込んで出演しました。学校の宿題も手伝ってもらいました。劇団員が家族みたいなものでした。以来、いろんな人がごちゃごちゃいるところが落ち着いていられます。
お母さんたちの自主保育「ありんこ」
 それから結婚して夫の転勤で相模大野に引っ越し、子どもができ一人で子育てに奮闘しているときに、たまたま応援に来てくれた母が劇症肝炎で緊急入院。その時2−3歳だった子どもの預け先に困って、子育て全国ネットワーク「あんふぁんて」に相談したところ、お母さんたち同士で運営している町田の共同保育所「ありんこ」を紹介されました。訪ねていくと子どもは嬉しそうに遊ぶし「子ども、おいていきな」と言われ、そこでお世話になりました。その後、参加する人もどんどん増えた時に、一人のお母さんが離婚することになり、彼女を経済的に支援しようと、専任の保母として雇うことになりました。およそ20家族くらいが利用していて、子どもたちも自由奔放で、自分たちでお芝居を作って見せたり、その辺の草花を積んできて、通る人に十円で売ったりしていました。その後、夫の転勤で京都にいくことになり辞めたのですが、現在、30−40代になった当時の子どもたちとも、今でもお付き合いさせていただいています。ここもある意味で共同体だったと思います。
保育所もフリースクールも私の共同体
 その後、関東に戻ってきた時に川崎の西野博之さんが、アパートを借りて始めたフリースクール「たまりば」(現在は半官半民の夢パーク)のスタッフに誘われ、子どもたちと遊んだり一緒にご飯を作って食べたりもしていました。それから長野県で小学校の廃校を利用した宿泊施設があったんです。そこはJICAと提携して海外から勉強しにくる人たちなどが利用していました。

 

そこに子どもたちを預かって飲食を共にするフリースクールを作るので手伝って欲しいと言われて、ちょうど不登校ぎみだった長男を連れて尋ねると、長男はとても気に入って「僕はここに住みたい」というので私もスタッフとして参加しました。そこにはさまざまな人が集まってきて、例えば日本で初めてのパーマカルチャの実験をやっていたり、真剣を持ち歩く許可を持っている古武道の方がきたり、チベット僧侶もいました。私は学生時代からイスラエルのキブツや、諏訪之瀬島の「部族」というヒッピーの共同体に憧れを持っていました。その「部族」のメンバーで国立で居酒屋を開いていた「サタン」も、そこに手伝いに来ていてちょっと興奮しました。

地域との交流
 地域の学校は小学校から中学校まで各学年10人くらいの小さな学校で、担任の先生が息子の住んでいるところまで訪ねてきてくれたりもしてくれました。ただ大人は新しい住民に対しては意地悪の洗礼をするようで、地域の役員選挙で来たばかりの私に票が集中して危うく役員にさせられるところでした。20年以上住んでいる宿泊施設のオーナーも「旅のもの」と呼ばれていました。
 それでも陶芸家や工芸家、絵描きまで新しい住民が増え続け、ある方は村会議員になって、地域の方たちと次第に仲良くなって来ました。特にフリースクールでは物を作ることが大きな柱になっていて地域の協力を得ていました。例えば炭焼き小屋で炭焼き体験をさせていただいたりもしました。
 1995年に神戸で大地震が起きて、今こそ支援する時だと、子どもたちやスタッフ全員が現地のテント村に支援に行ってしまい、誰もいなくなってしまいました。ちょうどその時に私の母が発病したので、それをきっかけにやめて帰って来ました。
何か足りないという不安
 川崎のたまりばでも、長野のフリースクールにいても居心地はいいのですが、何かが足りないというか、何か不安を感じていたのです。たまたまフリースクールの調査に来られていたホリスティック教育研究会の吉田敦彦さんに相談したところ「それは軸とちゃう?」言われて、そこから学生時代に出会っていたイスラエルの思想家マルティン・ブーバーの話になったのです。
質問:「軸について」
「軸」というお話が出たのですが。もう少し具体的にお話いただけますか。
「軸」については具体的に話そうとするほど遠くなってしまうのです。先日、川崎のフリースクール「たまりば」の映画「夢パーク」を見て思ったのですが、子どもたちが「私って何?」「私は何になりたいの?」などと、それぞれが自分なりの問いを持っていて、それにスタッフが丁寧に付き合っているんですね。これは同時にスタッフ自身の学びになって育ってもいるのですが。それらの子どもたちの問いが「軸」になりうるかもしれません。「小3から小4までの子どもたちは哲学者」などと言われますが、このことだと思います。彼らは生きる意味を探っているのです。映画監督の伊勢真一さんが「生きることに意味はない」などと言っていますが、それは生きる意味を探し続けた人が言えることなんです。一人でその意味を考え続けた結果なんですね。ブーバーも「孤独を貫いたものが愛と出会える」みたいなことを言っていますが、愛や真の繋がりは、孤独を体験することで、初めて出会えるのだと思います。
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児玉さんからの感想です。
中城さま、丁寧な報告をありがとうございました。記録しておくって大切ですよね。頭が下がります。

 共同体の話をと言いながら、結局、半世紀以上前の関西の芸能の話や学生運動の流れの話になってしまい、「関わり」から始まる「共同体」の可能性までたどり着けず、失礼しました。ただ、以前に興味を持ち勉強してきたブーバーの共同体論を、もう一度振り返ることができました。また、ゆっくり続けていこうと思えました。とてもいい機会をいただきました。「関わり」で言うなら、対面の多田図尋常小学校へ実際に登校することで、また違う展開がありそうだなと思えました。