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870 多田図尋常小学校の人々「次回はヴァルヒャと辻井伸行を取り上げます」


●3限目 音楽
 「Coffee Break Music In Tadaz」 本日のバリスタの気まぐれブレンド

「ポーランド人の魂

      ・ショパン」

 ルービンシュタインツィマーマン
 T.eng氏(音響エンジニア
   趣味はオーディオ、パソコン製作、鉄道 etc.)

「ピアノの詩人」ショパンの故郷はポーランド。ショパンコンクールは第一次世界大戦で荒廃した祖国を鼓舞するために誕生しています。ショパンの音楽は不死鳥のごとく蘇る祖国の心の代弁者であり、ポーランド生まれのピアニストは演奏とともに魂を燃やすわけであります。今回取り上げる一人は半世紀以上にわたり第一線で活躍し続けた巨匠、アルトゥール・ルービンシュタイン。もう一人は現代のショパン弾きとして君臨する理論派ピアニスト、クリスティアン・ツィマーマン。ポーランドに生まれた二人にとってショパンは魂の歌。ポーランド人によるポーランド不屈のシャウトをお楽しみください。

ショパン弾きの巨匠ピアニスト
        ルービンシュタイン
 ルービンシュタインは1887年にポーランドで、ユダヤ人の家庭に7人兄弟の末っ子として生まれました。姉のピアノレッスンに同行した2歳の時、絶対音感を証明し、4歳でハンガリーのヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムから「この子は才能があります。本格的に勉強する時になったら、私のところに来なさい」と言われたくらいでした。7歳でモーツァルト、シューベルト、メンデルスゾーンの作品を演奏。1904年にパリに移住し作曲家ポール・デュカス、ラヴェル、ヴァイオリニストのジャック・ティボーなどと出会います。さらには作曲家サン・サーンスの前で、彼の作品「ピアノ協奏曲第2番」を演奏したり、作曲家カロル・シマノフスキとも知り合いになります。その後、欧米で演奏旅行を行うも、うまくいかず経済的にも逼迫して超貧乏生活に陥り、死にかけたこともありました。1912年にロンドンでデビューしてから、ロンドンに定住し、ストラビンスキー、ジャック・ティボー、パブロ・カザルスなどとも親交を結びました。第二次世界対戦中にはアメリカで暮らして1946年にはアメリカの国籍を取ります。1960年にはショパン国際ピアノコンクールの審査委員長を務め、その時、優勝したのがマウリツィオ・ポリーニ。ポリーニについて「ここにいる誰よりも上手」と評したのは有名な話です。1976年に「飛蚊症」によって視力を失い引退して、1982年に死去します。半世紀以上現役で活躍したルービンシュタインは、その遺志によりエルサレムに葬られました。
 ルービンシュタインのレパートリーは広く、ベートーベンからストラビンスキーまで何でも弾きますが、ショパンやリストなどロマン派の曲に名盤が多いです。またスペインの作曲家にも知人が多く、その曲を初演しています。若い時は才能に任せた演奏をしていましたが、修行を重ねて丁寧に演奏をするようになりました。過度の練習は避けて、1日3時間くらいに抑えています。彼の記憶力は凄まじく、膨大な数の曲を暗譜し、ある曲では譜面についたコーヒーのシミまで覚えていました。
 

 

 ソリストとしてだけでなく室内楽でも卓越した演奏をしています。ハイフェッツ、フォイアマンとのピアノ・トリオは「百万ドルトリオ」と呼ばれて有名でしたが、本人はそれを嫌っていました。また天才同士のハイフェッツとは折り合いが悪く、改めてシェリング、フルニエとトリオを組み高い評価を得ます。録音についても積極的でSPレコード時代からステレオ録音に至るまで多くの演奏を録音に残しています。19世紀の演奏様式を引き継ぎつつも長きにわたり活躍したルービンシュタインは間違いなく大演奏家の一人です。

現代の代表的ショパン弾き
       ツィマーマン
 さて現在のショパン弾きとして取り上げたツィマーマンは1956年ポーランドで生まれました。父親はドイツ系のピアニストで工場務めの傍らバーでピアノを弾いていました。幼少期には家にあったピアノで遊んでいたそうです。1973年にベートーベン国際音楽コンクールで優勝、1975年には第9回ショパン国際ピアノコンクールで史上最年少の18歳で優勝しました。1976年にはベルリンフィルと共演、さらにニューヨークでもデビューを果たします。1981年にポーランドで発令された戒厳令をきっかけにしてスイスに移住して1996年にはバーゼル音楽院の教授になります。1999年にはポーランドの若い音楽家たちと演奏活動を行なったり、カラヤン、バーンスタイン、小澤征爾などとも共演を重ね、現代の巨匠ピアニストとして活躍をしています。完璧主義者のツィマーマンは自分の演奏レパートリーについて納得できるまで入念に研究を行い、中には演奏するまで10年以上かかったこともあります。彼はピアノの調律も自分でやってのけます。物資が欠乏したかってのポーランドではピアノの部品も手に入らず自分で作って修理したのです。録音技術や音響学に関しても深い知識を持っており、とうとう自前のスタジオまで建設しました。このようにツィマーマンの音楽に対する情熱は凄まじいものです。

小林さんの感想
 私は昔、ピアノを習っていたのですが、途中で中断。最近、ピアノを再開しました。すると不思議なことに「耳」が開いてきました。それまで聴こえなかった音が聴こえてくるのです。すると自分の足りない部分やダメな部分までわかってくるので恥ずかしいのですが、練習がとても楽しくなってきました。今回、ショパンの「子犬のワルツ」を老練なルービンシュタインと、若手のツィマーマンの二人の演奏を聴き比べました。ツィマーマンの子犬はとても小さくめちゃくちゃ走り回っている絵が浮かんできました。それに対してルービンシュタインの演奏の犬は、少し年上で落ち着いて走っている絵でした。この聴き比べの体験は面白かったです。ありがとうございました。

T.eng氏の感想です。
次回はヴァルヒャと辻井伸行を取り上げます。