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900 多田図尋常小学校の人々「次回はリパッティとハスキルを取り上げます」


●3限目 音楽
 「Coffee Break Music In Tadaz」
 本日のバリスタの気まぐれブレンド

 「ドイツ系の名ソプラノ」
   〜シュヴァルツコップとポップ〜
           T.eng氏(音響エンジニア

              趣味:オーディオ、パソコン製作、鉄道 etc.)

 数多くの花形スターひしめくオペラ界において名手たるものそれ相応の個性があります。
女性歌手ではカラスがイタリア系オペラにおいて有名ですが、ドイツ系オペラにおいても超一級の歌手が存在します。今回紹介するのはソプラノ界の完璧主義者エリーザベト・シュヴァルツコップ、そして艶やかに歌い上げるチャーミングな舞台の妖精ルチア・ポップ。モーツァルトやシュトラウスの名作に欠かせぬ二人の歌姫をお楽しみください。

         ソプラノ界の完璧主義者
   エリーザベト・シュヴァルツコップ

 エリーザベト・シュヴァルツコップは1915年にドイツ帝国(現ポーランド)のヤロチンで生まれました。幼少時から音楽が大好きで、さまざまな楽器に親しみ、13歳で学校でオペラを歌いました。校長だった父親がナチスに批判的だったため冷遇されてしまいます。当初、医学の道を進もうとしていたシュヴァルツコップも大学に進めず断念、代わりに音楽の道を志したのです。1934年にベルリン高等音楽学校に進み声楽を学び始めます。まずコントラルト、次にメゾソプラノ、そしてコロラトゥーラ・ソプラノに変わっていきます。1938年にドイツ・オペラ・ハウスでデビュー、1940年には条件として要求されてナチスに入党、ドイツ・オペラ・ハウスと契約を結びます。早速、ナチス宣伝相のゲッペルスの目に留まり5本の映画の仕事もやりますが、これが戦後まで尾を引くことになります。1942年にはウィーン国立歌劇場と契約を結びます。カール・ベームによって引き抜かれたのです。第二次世界対戦後はウィーン国立歌劇場の代わりのアン・デア・ウィーン劇場で活動を再開します。1947年には「ドン・ジョバンニ」でロイヤル・オペラハウスに出演、1951年にはバイロイト音楽祭にも出ました。1946年にEMIのプロデューサーの完璧主義者ウォルター・レッグと出会い、完璧主義的な厳しいオーデイションを行った末に契約、その後、一緒に仕事を進め、さらに1953年には結婚します。
 1971年に最後のオペラを演じた後、活動をドイツ歌曲に絞り、1979年に最後のリサイタルを行って引退します。リサイタル当日、夫のレッグは心臓発作を起こしながらも無理矢理、参加して5日後に死亡してしまいます。1985年にジュリアード音楽院の教授となりマスタークラスを担当、厳しく、多くの生徒を指導しました。2006年に90歳で亡くなります。
 彼女は同じく完璧主義者のオペラ歌手フィッシャー=ディースカウと共にドイツの音楽界を牽引していました。二人は相性もよくしばしば共演もしています。彼女は常に作品に対して客観的で、作品そのものに迫っていきます。ドイツ以外の歌曲の録音もありますが、音楽的な原点はドイツ語です。事前の準備も入念に行い自分の感性とのすり合わせを完璧に行っています。まさに完璧が彼女の代名詞なのです。

     チャーミングな舞台の妖精

                ルチア・ポップ 

一方、シュヴァルツコップと並ぶ実力者といえば、妖精ルチア・ポップをあげたいと思います。彼女は1939年にスロバキアで生まれました。父親はエンジニア、母親はオーストリア人です。初めは医学を志すも役者に転じて演劇レッスンを受け始め、そこから声楽に目覚め、ソプラノに転向しました。1963年にオットー・クレンペラーの指揮する「魔笛」の夜の女王として23歳でデビューし、さらにカラヤンのウィーン国立歌劇場に入団し「フィガロの結婚」でデビューします。1967年にはメトロポリタン歌劇場で「夜の女王」でデビュー。1979年にはウィーン国立歌劇場のウィーン宮廷歌手の称号が与えられました。初めはコロラトゥーラ・ソプラノでしたが途中でリリック・ソプラノになります。彼女の艶やかな、張りのある、品格がある爽やかな声はとても評価が高かったのですが、歳を重ねるにつれ、音に陰りが出てきて「こうもり」のような重厚な役や、すいも甘いも併せ持つ、さらにはコミカルな表現も難なくこなすことができるようになってきます。1993年に脳腫瘍で、なんと54歳の若さで亡くなります。2017年にはその功績を讃えた胸像が建てられますが、これも彼女の実力の証なのです。彼女はスロバキア生まれでドイツ語圏出身ではありませんが、母親がオーストリア人のため、ドイツ語はネイティブに近く、歌もドイツ歌曲を中心に活動を続けています。1970年から1980年にかけてドイツ歌曲の主流を担う立場にありました。とにかく真面目だけでなく可愛さとチャーミングさを備えていました。夜の女王から子守唄、果ては民謡まで変幻自在に歌い分け、モノにする「舞台の妖精」というにふさわしい存在でした。

小林さんの感想

 面白かったです。音楽をあれほど深くしみじみと聴いたことがありませんでした。ありがとうございました。

校長の感想

 私が学生時代にシュヴァルツコップの名前と写真は音楽関連の雑誌に溢れていたような気がします。ところがクラシックと縁遠かった私はほとんど聴いたことがありませんでした。一方ルチア・ポップに至っては名前も写真も全く知らず、今回、T.eng.氏のおかげで二人に出会えました。ありがとうございました。