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903 多田図尋常小学校の人々「次回はバルトークとブーレーズを取り上げます」


●3限目 音楽
 「Coffee Break Music In Tadaz」
 本日のバリスタの気まぐれブレンド
 「コルトーの弟子たち」
  リパッティとハスキル 
     T.eng氏(音響エンジニア/
  趣味はオーディオ、パソコン製作、鉄道 etc.
 
 先の授業でも取り上げた名ピアニスト、アルフレッド・コルトーはショパン弾きであったと同時に個性的な教育者としても有名でした。そんなコルトーが教えた弟子たちも負けず劣らずの名手であり、個性的でした。今回紹介するのは個人的に最も未来を知りたかった夭折した天才ピアニストのディヌ・リパッティ、そして繊細して典雅なる女流のモーツァルト弾きクララ・ハスキル。モーツァルトやショパンの名作にはこの二人の名前が欠かせません。生き様も音楽も個性的な二人のピアニストは現代の我々にどんな姿を見せるのでしょうか?
       夭折した天才ピアニスト
           ディヌ・リパッティ
 ディヌ・リパッティは1917年のルーマニアのブカレストで、バイオリニストの父、ピアニストの母の間に生まれました。名付け親はルーマニアの有名なヴァイオリニストで作曲家のジョルジュ・エネスク。若くしてそのピアノ才能に溢れていたにもかかわらず、1933年のウィーンの国際ピアノコンクールで2位となり、結果に抗議したアルフレッド・コルトーは審査員を辞退しました。1934年にパリ高等音楽院に入って、コルトーや、ポール・デュカスに習い、ピアノ演奏だけでなく作曲や指揮などを学び18歳でデビューします。やがて各地で行われたコンサートの成功で世界的にも名前を知られることになります。ところが第二次世界大戦が始まり、ナチスの影響もあり自由に演奏ができなくなり、1943年に演奏旅行のためにルーマニアを離れ、以後戻ることはありませんでした。スイスに移住しピアノ指導教授となりますが、じきにホジキンリンパ腫を発症、次第に病状が進み演奏も難しくなります。しかし1950年12月のブザンソン音楽祭では医者が止めるのも聞かず出演。後半のショパンのワルツ全曲演奏中、最後の第2番を弾く前に体力が尽き、代わりにバッハの「主よ。人の望みの喜びを」を演奏しました。これが彼の最後の演奏となります。そして12月2日に33歳の若さで命を閉じます。
 彼は超絶的な演奏をしますが、完璧主義のため事前準備も入念に時間をかけて行い、ベートーベンの皇帝協奏曲の準備には4年、チャイコフスキーの曲を演奏するにも3年掛けていました。20世紀の多くの演奏家からも「彼は天才」と高く評価され、アルフレッド・コルトーが「期待している若い演奏家は?」と聞かれたときに「リパッティ…。けれどもういない」と答えました。
 

 

典雅なる女流のモーツァルト弾き

   クララ・ハスキル
 さてもう一人のコルトーの弟子としてクララ・ハスキルを紹介します。彼女は1895年ルーマニアのブカレストの日用品店主の娘として生まれ母からピアノを習います。早くに父が亡くなり、仕立て屋をしていた母に育てられます。10歳でパリ音楽院に入って、アルフレッド・コルトーに入門するも、「君の演奏は次回に聴こう」などと追い返されたりして、直接教えを受けたことはありません。後でコルトーはこのことについて「彼女の教え方を考えたけれど、放っておくことが一番と気がついたんだ。孤独で不安なアンバランスな境地にいる時にこそ、彼女は素晴らしい進化をするんだ」と語っています。
 1914年には持病の脊柱側湾のためコルセット着用というハンデを余儀なくされます。やがてユダヤ系だったためナチス傀儡のビシー政権を嫌ってフランスからスイスに移住します。1924年にはニューヨークのボストン交響楽団と共演、1926年にはマンチェスターでイギリスデビューを果たします。1927年から34年まで叔父と暮らした後、独り立ち。同門のリパッティとはとても仲が良かったです。ただ舞台恐怖症が強く実力が発揮できずに悩まされていました。1950年に入ると、オランダでのコンサートが評価を受け、やがてチェロのパブロ・カザルス、ヴァイオリニストのアルテュール・グリュミオーなどとも共演するようになり、ソリストとしてだけでなくデュオとしても完成度の高い資質を持っていました。そして1960年にブリュッセル駅の列車のホームから転落、その怪我が悪化してなくなります。翌日、共演する予定だったグリュミオーも彼女の死に大きなショックを受けました。
 彼女はヴァイオリンを弾くこともあり、そのピアノはベルベットのようにきめ細やかで透明感のある音色、ヴァイオリン的なコントロール、歌っているような連続的な音、女性らしい優しさは、決して誰も真似ができないものでした。
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澤岡詩野さんの感想
 私は音楽的な詳しいことは知らないのですが、ハスキルのモーツァルトのピアノ協奏曲23番の演奏を聴いているうちに気持ちよくなって、ずーっと聴いていたくなりました。ピアノの音色がオーケストラの音のなかを泳ぐように感じました。泳ぐようにという表現を音楽関連で聴くことは多々ありますが,自分がそう自然に感じたのははじめてでした。ありがとうございました。 
校長(中城)の感想
 ちょうどコロナにかかっていますが、T.eng氏から「リパッティの音源がそちらにある」というメールを思い出し、前日にレコードの演奏を聴いていると寝てしまいました。コロナの治療にもいいかもしれません。しかしこんな優しい音色のピアニストがフランスのパリ音楽院に、同時期に二人もいたなんて、パリ文化の懐の大きさを感じました。