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907 多田図尋常小学校の人々 「世界に素敵な映画がたくさんあるのに、日本で見られるのはごく一部です」


2限目 社会
人生で大事なことは
      映画から学びました」
  〜始まりは小2で観た「禁じられた遊び」〜
                  雨宮真由美さん
(北欧映画配給・映画祭スタッフ
                                    /読書と街歩きが好き
 
 大倉山ドキュメンタリー映画祭実行委員の
雨宮真由美さんは大の映画ファンです。始まりは小2でお母さんと見た「禁じられた遊び」。その後もお母さんとたくさん映画を観ながら、高校生になると自分で観たい映画を探し、3本立て上映の名画座などに頻繁に通い始め、今では年間200本くらいの映画を見ているそうです。
「どんな困った状況でも、まるで映画みたいと面白がったり彼女(登場人物)ならどうするだろうと無意識に考えちゃいます。
どうやら私の細胞の80%は映画なのかもしれません」
という雨宮さんから素敵なお話を伺いました。

 

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小学校2年で観た「禁じられた遊び」
 私の父も母もかなりの映画好きで、休みになるとよく家族で映画を見に行っていました。そんな両親の元に育った私もごく自然に映画が好きになったのです。最初に観た映画として記憶に残っているのは小学3年生の夏休みに母と鶴見の名画座で観た『ローマの休日』『小さな約束』『禁じられた遊び』の3本でした。昨年、実家仕舞いをしていた時に夏休みの日記帳が出てきて、そのことも書かれていました。特に『禁じられた遊び』は主人公と自分の年齢が近かったこともあり夢中で見ていました。字幕を読みきれなかったはずですが、主人公の悲しい気持ちが自分のことのように理解できました。大きな衝撃を受け、寝ている時に何度も浮かんできたことを覚えています。

最初に観た映画を覚えていますか?
ところでみなさんが初めてみた映画を覚えていますか?

●私は親父と観た『シンドバッドの冒険』という特撮映画でした。骸骨が出てきて怖かったあ。(中城)
●初めての映画ではありませんが中学生で観た『ジョーズ』とか『ET』は強く印象に残っています。(坂梨さん)
●私はディズニーの『ファンタジア』ですが、私にとって衝撃だったのは『レクイエム・フォー・ドリーム』です。これは一度観た方がいいです。

(T.eng氏)

 

 

 

毎日が映画漬けだった高校時代
 そんなわけで中学生までは主に母親に連れられて映画を見ていましたが、高校生になると、お小遣いで自分で映画を選んで観に行くようになりました。当時「ぴあ」という映画演劇などのイベント情報が載っている情報誌が2週間に一度発行されていました。それを見て2週間の綿密な映画スケジュールを立てる訳です。当時はまだ名画座で3本立てがあり、今日はここで3本、明日はあそこで2本と、ほぼ毎日のように映画に通っていました。私の映画鑑賞は、ある時期は新旧の日本映画にのめり込んだと思えば、次はアジア映画、次はサイレント映画と雑食系です。昨年から大倉山ドキュメンタリー映画祭に参加していますが、ドキュメンタリー映画もよく見ます。映画館のいいところはスクリーンに集中できるところです。黄金町にある映画館ジャック&ベテイにはよく行きます。上映作品も素敵なものが多くおすすめです。繰り返してみる映画ですか?小津安二郎の作品は何度も観ても面白いです。映画って謎解きみたいなところがあって、一回ではなかなか解けないところが面白いです。

 

両親が反対する映画の学校に進む
 高校を卒業したら映画学科のある大学に行きたいと考えました。それで私を映画漬けにした張本人の両親に相談したところ、サラリーマンの父は大反対。「映画は斜陽産業!」「映画は娯楽として楽しむもので進路に選ぶ業種ではない」という当時の私にとっては衝撃の反対理由でした。それでも両親を説得して日本大学芸術学部映画学科に入学し、4年間、映画を浴びるように見て過ごしました。しかし、いざ就職の時期となると映画業界への入口は簡単には見つかりませんでした。親の反対も一理あったのだとわかりました。そして仕方なく神奈川県の半官半民の団体で事務の仕事をする毎日が始まります。これがあまりにも苦痛でやめてしまい、その後は美術館などでアルバイトをしていました。

有志で北欧映画祭を立ち上げる
 結婚してから再び映画を見始めた時に、アップリンクという映画館が主催するワークショップに参加して映画館や配給の仕組みなどについて学びました。これが面白くて16年も通ってしまったのですが、一緒に受講していた人から「勉強ばかりしていないで何か実践しよう!」との呼びかけがあり、有志で映画祭や映画の配給に取り組むことになりました。その頃、北欧の社会福祉や文化に注目が集まり北欧ブームと言っていい状況がありました。しかし国内で北欧映画祭は長いこと開かれていませんでした。それで2011年に北欧映画祭を立ち上げ、この映画祭は成功してコロナ禍を迎えるまで10年続きました。

北欧映画の配給を始める
 映画祭と並行して北欧の映画の配給も体験しました。映画には定価がある訳ではなく完成時が最も高く、時とともに値段は下がっていきます。また国際的な賞を獲った映画は高額となります。北欧映画祭で上映した作品の中から日本未公開のままだった『シンプル・シモン』という素敵なスウェーデン映画を有志でお金を出し合って配給権を買うことができました。映画のチラシや資料を作り、全国の映画館に電話をかけたり手紙を書いたり、時には出かけて行って上映のお願いをしました。小さな規模の映画でしたが結果は黒字でした。確かに配給の仕事はめちゃくちゃ大変ですが、辛いと感じたことはありません。これがメジャーな会社の営業担当で、好きでもない映画の売り込みなら苦しかったかもしれませんが、大好きな映画だったので全てが面白かったです。


世界には素敵な映画がたくさんあるのに日本で見られるのはごく一部
 アメリカで原爆開発を推進した科学者を描いた『オッペンハイマー』という映画があります。ゴールデングローブ賞やアカデミー賞など総なめでしたが、日本では原爆を扱っているということもあり大手の映画会社は配給権を購入しなかったのです。まさかこの映画が日本では見られないのか?と思っていたところ、1年近く経ってミニシアター系映画を配給する会社が配給権を購入、現在全国で公開上映されヒット中です。映画はギャンブルでもあるのです。
という訳で世界には素敵な映画がたくさんあっても日本で観ることが出来るのはそのごく一部です。もっともっと多くの人が世界中の映画を見られるようになるといいなというのが私の願いです。ありがとうございました。

 

雨宮さんの感想

 7日は多田図尋常小学校の授業に参加させていただき、ありがとうございました。T.engさんの超マニアックな京急クイズから現代音楽の講義まで、内容の濃さに驚きつつ、どちらも心から愉しく聴講させていただきました。

坂梨さんの感想

 今さら聞けない、配給というお仕事のこと、お話しいただき、ありがとうございました。
世界でいい映画があっても配給権の問題で日本で見られないと聞いて残念な気がしました。
今度はさらに詳しく配給のお話しをお聞きしたいです。
T.eng氏の感想
 「レクイエム・フォー・ドリーム」は衝撃ですが、一度、見る価値があります。
校長の感想
 我が家でマイクロ映画館を作った時に、オンライン配信システムの「ポップコーン」に登録して、マイクロ上映を考えていたことがありました。そのウエブに掲載されていた作品で面白そうだったのが「シンプル・シモン」。これが雨宮さんが輸入して配給していた作品だなんてびっくりです。