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914 多田図尋常小学校の人々 「次回はスターンとフランチェスカッティを届けます」


●2限目 音楽
モーツァルト弾き?
 ほかにもいっぱい弾きますよ!
              ~ギーゼキングとL・クラウス~
        T.eng氏(音響エンジニア)
 
 クラシック界の頂点を極めんとするモーツァルトは当然のごとくピアノ曲も超一流です。現代でもモーツァルト弾きの奏者はハスキルやグルダ、ピレシュといった具合に多々おります。今回取り上げるのはモーツァルト弾きとしても知られますが、それ以外の分野でも確固たる足跡を残した二人をご紹介。フランス・リヨンで生まれドイツ圏で活躍し、ピアノの世界に新即物主義の解釈を持ち込んで裾野を広げたワルター・ギーゼキング。もう一人はハンガリーで生まれモーツァルト弾きとしても室内楽奏者としても、教育者としてもクラシックをけん引したリリー・クラウス。数多くいるモーツァルト弾きがいますが、この二人は私の推しです。まずは聴いてみましょう。

ピアノに新即物主義を持ちこんだ
         ギーゼキング
 1895年にリヨンでドイツ人の夫婦の元に生まれたギーゼキングは、4歳でピアノを習い始め、読み書きはできるからと学校にはいかず、家にこもってひたすら百科事典と楽譜ばかり読んでいました。心配した親がハノーファ音楽院に入学させ「完全に暗譜してから演奏すべき」と主張するカール・ライマーの指導を受けて、その才能を認められます。またドビュッシーやラベルなどの当時最新の現代音楽にハマり、貪欲に吸収していきました。1923年にロンドンでデビューし、1930年代にはヨーロッパ中でコンサートを行います。第二次世界大戦のナチス政権時代でもフルトヴェングラーと共にドイツに留まり、ヴィジー政権下のフランスでも演奏を続けます。その活動はユダヤ系のルービンシュタインなどの音楽家から強い反感を買い、戦後はナチスとの関係を問われて、しばらく演奏を禁止されます。1949年にカーネギーホールで演奏を予定していましたがキャンセルとなり、1953年にようやく演奏することができました。そのチケットは飛ぶように売れました。1956年にロンドンでベートーベンのソナタの録音中に倒れ、緊急手術のかいなく、死去してしまいます。
 
 ギーゼキングはモーツァルト、ドビュッシー、ラヴェルの演奏が有名ですが、実はバッハ、ベートーベンなどの古典からシェーンベルグなどの近代音楽までと幅広いレパートリーを持っていました。ギーゼキングの演奏は、淡々と弾きながら作品の本質を的確に引きだしていきます。同時代現役のラフマニノフの協奏曲を取り上げた時も、誰も弾けなかったラフマニノフ本人のテンポに忠実に弾きこなすほどでした。そして記憶力も抜群で電車の中でも常に譜面を見続けて曲のイメージを完璧に作って演奏します。また楽譜を1回見るだけで覚えてしまう桁外れた暗譜能力を持っていました。運指やペダルの指定がないドビュッシーやラベルのピアノ曲の分析も極めて明晰で、微細な音を的確につむぎ出していきます。SPレコードに録音されているラベルの「水の戯れ」の演奏は、とても速く、しかも一音一音的確に表現されていて、極めて高い技術を持っていることがわかります。

 

 ギーゼキングの演奏はロマン派のように感情をむやみに膨らませることなく、主観を排除して感情に溺れずに、冷静にかつシンプルに楽譜に忠実に音を再現しようとする新即物主義的な演奏でした。新即物主義的な表現はナチスからは退廃音楽として排除されてきましたが、ギーゼキングはなぜか排除されませんでした。
モーツァルト弾きとしても
教育者としてもクラシックをけん引したリリー・クラウス
 リリー・クラウスは1903年にブダペストに生まれ、6歳でピアノを習いはじめます。8歳でブダペスト音楽院に入り、音楽理論をコダーイ・ズルターン、ピアノはバルトーク・ベーラの教えを受けます。17歳でウィーン音楽院に進みゼヴリン・アイゼンベルガーにピアノ、エドゥアルト・シュトイアーマンに現代音楽を習い、3年分をわずか1年で習得して、1923年には20歳で同音楽院の教授になります。1930年に結婚して夫婦でベルリンに移住し、ピアノのソロだけでなく、バイオリンとの共演や室内楽でも演奏を行い高い評価を得ます。レパートリーはモーツァルトを中心にショパン、ハイドン、シューベルト、バルトークなども弾いています。1930年代にはヨーロッパ、南アフリカ、オーストラリア、アジアにも演奏旅行に行きますが、ジャカルタに滞在中に日本軍に拘束されて1945年に解放されるまで抑留生活を送ります。1946年には活動を再開し、1948年にはヨーロッパで演奏旅行に行ない、1949年にはニューヨークでのデビューを果たします。フランスで録音したレコードが大当たりしたこともあります。モーツァルトやハイドンの3重奏曲も演奏し、ブラジリアホールのオープニングのコンサートや、モロッコにも呼ばれて演奏しています。1967年にアメリカに移住して大学の教授をしつつ、活発に演奏活動も続け、1986年にアメリカのナッシュビルで83歳で亡くなりました。彼女は演奏だけでなく多くのコンクールの審査員になったり、教育にも熱心で高い評価を受け、多くの弟子を送り出しています。彼女の演奏は優雅でしなやかでありながら、芯が強く、したたかで、ポイントをきっちり押さえています。そして力強い音色を好み、全体の音のラインを疎かにせずに、とても繊細な音作りをします。
長瀬さんの感想
 音楽の授業で、話を聞くのは楽しかったです。私は「水の戯れ」が大好きなのですが、今回のように速く的確な演奏を聞いたのは初めてで面白かったです。クラシック音楽にはしばらく触れていなかったので、また聞いてみようと思いました。T.engさんの話はラジオを聞いているみたいで面白かったです。日曜日の朝にピッタリでした。
校長の感想
 ギーゼキングの「水の戯れ」はびっくり、私がぼんやりと抱いていた「煌めく水飛沫」という曲のイメージとは違って「緻密さ」を連想しました。またクラウスの「優雅、しなやか、したたか」からは「品」という文字が浮かんできました。
T.eng氏の感想
 次回はスターンとフランチェスカッティをお届けします。