生まれた所は神奈川県小田原市。その後、世田谷、相模原などなど移り、今は南足柄市の実家に住んでいます。子どもの頃は二宮金次郎さんが松の木を植えた酒匂川から3分ほどのところに住んでて、毎日のように犬と一緒に川へ行っていました。そのせいか、海よりも川が好きです。🎵
川ではいろんなことをして過ごしてたけれど、水量が少ない時に川の中洲に渡る遭難ごっこが忘れられないです。巨大な大木が生えてたり、普段の景色と全く違って陸と隔絶され世界に自分1人のような気持ちになりワクワクしました!周りからは「10人兄弟の末っ子で放ったらかしで育ったみたい」ってよく言われるけど(笑)1人っ子です。絵を描くことが大好きで、ひとり遊びが好き。友だちが遊びに来ても「今日は絵を描くから」とよく断ったり(⌒-⌒; )、今もひとりの時間がとっても大事です。
母親は函館のパチンコ屋さんの10人兄弟の長女。
その雰囲気が私にもあるのかも。母は小さい頃はお嬢様のように育てられていたようだけど、戦争で疎開後は幼い兄弟たちを母親のように面倒を見て苦労したせいか、無理して私に兄弟をつくろうとは思わなかったのかもしれないなぁ。母と、父も北海道のニセコ、倶知安周辺で暮らした時期があり、よくニセコから見える羊蹄山の話をしてました。幼い頃は北海道で育った父はその後、祖父が満鉄に勤務、家族で中国で裕福な暮らしをしてたようですが戦争で父も少年兵として出征。捕虜としてシベリアに抑留、終戦を向かえたそうです。戦時のことはあまり話したがらなかったけど、もっと聴いておけば良かったな、と思います。(簡単にザ〜っと話してるけど大変な時代でしたよね。)
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父の方は戦後、家族と神奈川へ移住。でも北海道時代の近所の人からの紹介で母とずっと文通をしていたそうです。母はその後、神奈川に来て父と結婚しましたが2人が実際に初めて会ったのは結婚式当日だったそうでビックリ!想像もできない話だけど昔は男女の出会いもそんなだったのかなぁ。母の写真を見た父が結婚を申し出たということだけど、おそらく母の方は寒くて貧しい北海道での暮らしから抜け出すために見知らぬ男の人に嫁いで来たのでは?(と、これは私の想像。だけど、あの母なら有り得る。😅)父は9年ほど前に他界しましたが、そのとき取り寄せた戸籍謄本に父の出生地がカナで北海道「ワクンベツ」とあり、「お父さんはアイヌの村で生まれたんだよ」と聞いて、これまたビックリ!
祖母はワクンベツのアイヌの家庭で親類から引き取られ育ったそうで、アイヌ人だったのかな⁇その頃の時代背景だとあまり話したくないことだっただろうし、今はもう北海道の親類もほとんど繋がりがなくて詳しいことは全く分からないですが。祖母は私が小学生の頃に亡くなったけれど、ふっくらと色白で眉が濃く堀の深い、穏やかな人でした。父は祖母に似ていて、父親似と言われる私も記憶にある祖母の顔に似てきてる気がします。
誰もみんな自分のルーツは知りたいだろうけど、もちろん私も知りたい。一昨年、冒険遊び場の仕事で網走の美幌町へ行ったけど、羊蹄山からはかなり遠く、いつか倶知安辺りへ行きたいな、と思ってたら毎年行われる冒険遊び場の総会フォーラムが今年は札幌で開催!それに合わせて来週から10日間ほど、札幌から足を伸ばし倶知安周辺へも行ってきます! 楽しみ〜🎵
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グラフィックデザイナーの道へ
父は結婚後、1級建築士の資格を取得して工務店を経営。母も父を手伝い両親で忙しくしていたので、家に帰っても1人でいることが多かったです。でも元々1人が好きなので気楽でした〜。(笑)小学校ではおとなしかった私だけど、小5の頃「自分を変えたい、もっと積極的になろう。」と教室でも積極的に手をあげて発言したり性格も変わっていきました。
中学になると音楽に目覚め、3,000円の中古ギターを買ってもらい、毎日練習していました。高校は先生から進学校を勧めらたけれど、可愛がってもらってた近所のお姉さんから「絵が好きだからデザイン科のある高校に行くといいよ!」と小さい頃からずっと勧められていて、自分もずっとその高校に行きたい!と思っていたので他の選択肢は全くなく、そこ一校だけを受験し入学しました。中学の同級生は全員、塾に通ってたけど1人だけ塾も行かず(笑)受験勉強しているフリをしながら、ほとんど朝まで深夜放送を聞きフォークソングやロック、いろんな音楽を知りました。放ったらかしで教育熱心じゃない親で有り難かったなぁ。(笑)高校のクラスは40人で女子が20人。みんな個性的でとても楽しかった!
音楽に出会ったこと、デザイン科のある高校へ行ったことは私の大きな転機でした。その後、笹塚に住んでグラフィックデザインを学ぶために専門学校へ。卒業後は地元へ戻りファッション系の専門店の企画部に就職、フロアショーなどのイベントの企画からポップ書きやチラシの校正などをやっていました。その頃に結婚相手と出会い会社を3年目で退職し、2人で井の頭公園から近い三鷹台に住み始めました。
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プレーパークとの出会い
その後、転居したところが梅林で有名な世田谷の羽根木公園の近くだったんだけれど、主人と2人で散歩に行ったときのこと。綺麗に整備された梅林を過ぎた所に突然! 煙がモクモク上がって泥水が飛び散る原始の風景が現れ、「なんだ⁉️ここ‼️」って驚いた場所が羽根木プレーパークでした。それが冒険遊び場プレーパークとの初めての出会い。
その後、気がつくと世話人、今ではプレーパークについて全国でお話しするまでになっていました。結婚、子育て、そして冒険遊び場に出会ったことも私にとっての大きな大きな転機です。最近出会った方にカラー・リーディング(色彩心理学を使って性格や気持ちを読みとる方法)をやってもらったんだけど、
「あなたは人々に何かを伝えたいという想いがあるけど、その方法を見つけられず困ってた。でももうじき、それを見つけられる時期がきますよ。」と言われました。今すごくワクワクしています。💖
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樹木が弱くなる環境を人間が作ってる
今、自然と共生などと言われているけれど、ここ最近、全国的にナラ枯れが一気に広がってますよね。
このナラ枯れは樹木がキクイ虫に食われて枯れるのが原因と言われるけど、キクイ虫が繁殖する根本的な要因は環境破壊。樹木は地表に見えてる部分と同じだけ、それ以上の根っこが広がる土が必要だけど、今、多くの場所で地表はアスファルトで覆い固められ地中も建物の土台で遮られるから根っこは伸びていけない状況です。都会の通りはとても大きな街路樹が並んでるけど、狭くて息もできない土の中で広がれない根っこで支えられた木たちは、きっとグラグラでいつ倒れたっておかしくないと思ってしまう。キクイ虫が蔓延りやすい、樹木が弱くなる環境を人間が作ってる訳ですよね。
v冒険遊び場は自然の中の遊び場だけど、自然保護活動者から見ると冒険遊び場の活動も自然破壊と見られる側面もあります。木に設置されたロープ遊具が木を傷めるとかね。
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小さい時の経験が
命の大切さを学ぶための通過点
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子どもは遊びの中で花をちぎったり、トンボの羽をむしったりしながら育つけど、私は小さい時のこの経験が人が命の大切さを学ぶためのとても大切な通過点だと思ってる。自分でもほんの2つ3つの時にやってしまった虫を弄る遊びが大人になっても忘れられないです。大人から見たらイヤな遊びだけど大人がむやみに止めることで、ある程度の年齢になっても加減の分からない人に育ってしまうことってあるんじゃないか?それが暴力やイジメに繋がってるんじゃないか?と思ってます。
子どもの遊びが生態系を壊すことは無いけど、行き過ぎた都市開発は確実に自然破壊を促していて、ナラ枯れだけじゃなく、街全体に影響するような土砂災害とか、地形を変えてしまうほどの開発、開拓があまりに多い気がしてます。地球規模での気候変動も温室効果ガスの排出や森林伐採など人間の活動が大きな原因のひとつでもある訳で、人間はどこまで手を広げたいのでしょうね。
冒険遊び場でも大きく育った樹木がナラ枯れで、中がスカスカになり、一見なんの変化も見られないのに子どもが遊んでる最中、高所の太い枝が突然折れて落下する話も聞いてます。すごく怖いです。
冒険遊び場で不要なハザードを取り除くためにも環境問題をちゃんと知り学び、意識した場づくりをしていくことが大切だと思っています。冒険遊び場の活動が自然破壊だなんて言われないためにも。
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世界平和、なんて言うと
大げさに聞こえちゃう?😅
で「世界平和」なんですけど(笑)私が最終的に目指しているのは世界平和。冒険遊び場の活動は私にとって、その最終目的のためのツール、いち手段でしかない。今日は自然保護の話だけしかしてないけど、冒険遊び場の活動って1人1人を尊重してみんなが幸せになれる要素がたくさんある。しかもとっても具体的。
スピリチュアルぽい、ふわっとした夢のような話じゃなくて、すごく具体的に個々が大切にされる要素がたくさんあります。
「子どもの遊びを大切にする」
とことん!このことを極めていくことは子どもだけじゃなく、個人1人1人を大切にすることに繋がる。それこそ世界平和だと思ってます。そういう社会であってほしい。ただね、大人にとってはこのことがとても難しいようで。皆さん「子どもにとって遊びは大切!」って言い切るけれど実際、何か子ども向けのイベント等やると、大人目線であれもこれも、といろんなプログラムを入れてきます。「子どもたちのために✨」と一生懸命になって隙間なく様々な遊びを提供してくれるんだけど、実は子どもにとってこれが行き過ぎた善意の押し付け、になってしまう。子どもは自分で遊びをつくりだす天才なのに大人はそれを忘れちゃって、いろんなプログラムを用意する。「良かれ」と思ってのことだと思うけど、でも実はその裏側に大人の意に沿った遊びに子どもを押し込めたい、って気持ちがあるんじゃないかな?だから、そこから外れた遊び方をする子はワルい子になっちゃう。大人が思いつかない遊び方を発明するのが子どもだけど、抑えられることが続くと子どもは自分で考えることを諦めてしまう。そんな子どもたちが成長してつくる社会、とても怖いですよね。(かなりそういう社会になってしまってる気がするけど)私たちプレーリーダー、プレーワーカーはそのことにかなりな危機感を持っていて、大人社会に伝えています。
「子どもの遊びを大切にする」こと。
それは次世代が無気力で虚ろな社会になってほしくないから。明るく発展性があって1人1人が大切にされる社会になるために冒険遊び場の活動をやってるんですよね。
世界中の人の幸せを願う人はたくさんいると思うし、それぞれ祈りや音楽で伝えられるよう実践しています。私はそれが冒険遊び場の活動だった。「世界平和」って言うとめっちゃ大袈裟に聞こえるけど😆、すべてのいのちが必要以上に脅かされることなく幸せであること。「遊びの大切さ」を伝えることでそこに繋がっていくと思ってます。
🍀今年から「6月11日」は毎年!
international day of play「国際あそびの日」⭐️になりました!遊ぶことの大切さを国際的に啓発する日として国連総会にて決議されました❣️
いつか6月11日が国民の祝日になったらいいな。🎵
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T.eng氏の感想
子供の遊び場のお話は先の長瀬さんのときも触れましたが、最近は『安全』の大義のもと、何でも取り上げすぎているような気がしています。それがかえって『安全』とは何かを分からなくしているように感じます。それはそれとしてタダーズ・バーは気になりますね…。
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校長の感想
授業の前半では高子さんの熱い平和への思いを感じ、さらに後半で高子さんの足跡を伺い、高子さんの醸し出す安心感に納得しました。ありがとうございました。
本日はお忙しい中、ご丁寧な授業と中城のしつこい問いに答えていただきありがとうございました。
今回は高子さんのプレーパークまでのたどり着いたところで時間ぎれとなってしまいました。プレーパークの何に高子さんが影響を受けたのかを掘り下げたい。
今の瞬間を生きる子どもたちの姿なのか、天野さんをはじめとするメンバーの方たちの生き様なのか、それともプレーワーカーとしての高子さんの中の葛藤なのか、そんなことを、もっともっと伺いたくなりました。
また放課後の後に高子さんとお話して感じたのですが、「世界平和を目指す」高子さんを掘り下げることで「超個人的な営みを大事にしたがる」という対照的な中城自身が見えてきそうです。今回は授業準備のやりとりも刺激的で面白かったです。これからもどうかよろしくお願いいたします。あ、今回参加された方々のお話も、聞きたかったです。回を重ねていく中で伺ってみようと思います。
多田図尋常小学校 中城和生
昨日はありがとうございました!たくさん、掘り下げて頂き私もいろいろ気づきがありました。とても面白かったです。以下、中城さんの問いに答える形で書いてみます。↓
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中城のしつこい問いに答えていただきありがとうございました。
→私がもともと思っていたものが冒険遊び場を通して出てきた、またそれを実現する道の1つを示してくれてる活動なのかなと思います。と言いながら私も超個人的ですよ〜。笑これも仲間と話してましたが「家族を差し置いても冒険遊び場のことをやってる私たちって超自己中だよね!自分のやりたいことしかやってない笑」冒険遊び場の活動が自分の心の幸せなんですね。お金にならなくても笑
→私もおもしろかったです!こちらこそよろしくお願いいたします。